銀の鎖 |
気だるさの帯びる身体を,赤い鬱血の残るシーツから起こす。 まるで赤い花が散ったようだ血跡。 それはまるで、花びらのようではあるけれど、実際は花のようには美しくはない。 近くにあった時計に目をやると,いつもと同じ起床時刻だった。 いつもより,まぶしく感じる、昼の太陽。 隣には,当たり前だけれど,誰もいない。 ついさっきまで寝ていた,というようには感じられない,冷たいシーツ。 僕は,重い身体をシーツから起こすと,備え付けのバスルームへと向かった。 着ているのか着てい無いのか,よく分からない肩に掛かっただけのシャツを肌から離す。 シャワーのコックを捻ると冷たい水が,身体にかかった。 冷たい水をかけたのは,わざとだ。 ぶるり,と,身体は冷たい水に反応を返すけれども,僕はその水を止めないで,ずっと浴び続けた。 鏡に映る,逃れられない現実。 自分の貧相な身体を,じっと見つめた。 身体のあちこちに浮かぶ赤い印。 それは,欲望の証なのか,それともベッドでのリップサービスのようなものだろうか? その答えを,僕は知らない。 日ごとに薄くなっていったものから,昨日付けられたばかりのものまである。 肉付きの薄い身体。 この身体が,相手を悦ばせているとは,到底思えない。 それでも,性の捌け口としては使われているのだろう。 本来受け入れる場所でないところに,白濁の物が残っているのだから。 自分の指で,奥まった所から,精を掻きだした。 どろりとしたものが,ふとももを伝う。 その感触が気持ち悪い,と思う心もあったが、そうではないところで,じわりとした熱を生み出す。 冷たい水が,白い液体を排水溝へと流していくのを僕は,ぼんやりと見つめていた。 こんな,生活が始まって,かれこれもう1年を迎える。 昔は,こんなことはなかったのに。 一緒に育って,一緒に笑って,泣いて,毎日を過ごしてきた。 親友。 一体,どこで,こんな事になったのか。 きっと,それは僕がアスランの家に半ば居候という形で住み始めた頃に,変わっていったのかもしれない。 14歳の,ある日。 僕の父さんと母さんは,帰らぬ人となった。 14歳の僕には,一人で生きていくなんて,到底出来ない真似で。 親戚や従兄弟のいない僕は,母さんが同士が仲いいからという理由で,アスランの家で世話になることになった。 今まで以上の生活の接触。 それが僕にとって,何故が息苦しいものとなっていた。 年を重ねる後とに匂う,香水の匂い。 それはアスランが身に着けているものではなく,女の人が付けているであろうことは直ぐに分かった。 唇に残る,赤いルージュ。 それが嫌で,僕は18歳の時に,アスランの家を出た。 両親の遺産を受け取って。 両親の遺産に手を付けたくはなかったから,自分で働かねばならなくて。 そこで,大企業が使うバーで働いた。 大物が来る場所だから,そんなにおおっぴらな場所にない。 きっとアスランだって,見つけることはないだろう。 そう思って,僕はその場所を選んだのに。 アスランは,其処に現れた。有名な企業の社長となって。 それが丁度一年前。僕が23歳の時。 それから,愛人という形で,僕はアスランと会っている。 オーナーに,ホステスの顔には持って来いねと言われたが,僕の貧弱な体では,誰一人として抱く事はできない。 残念だわという言葉を残して,オーナーは僕をシェーカーにさせた。 それでも,客には口説かれる。 「・・・・・・・・どう?」 っていう具合に。 そこで,ぼくは今まで,何度頷いてきだろうか? 金,そして情報を手に入れるために。 目立たないようにして暮らしているから,世間の情報なんてものは一切ないのだ。 その情報の中に,こんな内容もあった。 「あの有名なアスラン・ザラが婚約し,無事結婚に至った」 それからは益々,客の身体に溺れるようになった。 アスランがスキだと思う事から逃げるように。 そして,それは今でも続いている。 愛人。 アスランだけではなく。 「いらっしゃいませ」 客が入った。 いつも,僕目当てらしく,必ず僕がいる前のカウンターに座る。 今日は,連れを引き連れていた。 「こんにちは。」 営業用スマイルで声をかけると,常連客―――リズファン―――は,挨拶を返した後,連れを紹介してくれた。 「こいつが,俺の親友のイッシン」 「はじめまして。キラさんのカクテルは美味しいと伺っています」 「親友――女性の方だったんですね」 「・・・驚かしたか?・・・・それとも女の親友は良くない?」 「いえいえ,とんでもありません。綺麗な方ですね」 「だろ?綺麗なヤツには,もう旦那サマがいるってよ。しかもデキル,ね」 暫く,3人で話した後,早速キラはシェーカーを振るために,今日の注文を聞いた。 「今日は何にします?」 「キラのカクテルは,コンクールでも2位の腕前だから,どれでも美味しいぞ」 「そんなことありませんよ」 すごいと賞賛するイッシンに,キラは構わず尋ねた。 「強いものはイけますか?」 「まぁまぁ飲めます」 「そしたら,ラム・ベースのピニャ・コラーダをお作りしますね。僕のお勧めです」 「俺はいつものをお願い」 「ギムレットですね。少々お待ちください」 キラ,慣れた手つきでシェーカーを振り始めた。 それから,また少し話しからイッシンは先に店を出た。 旦那さんと約束があるらしい。 可愛らしい顔を申し訳なさそうにして,店を出て行った。 「イッシン,美人だろ?」 リズファン1人になっても,まだ席を立とうとはしない。 「ですね。旦那さんもさぞ美人なんでしょうね」 「だろうな。コレもあるらしいし」 と,リズファンは,親指と人差し指で丸の形を作った。 「寿になられたんですか?イッシンさんは」 「だろ?旦那が働くなっていったらしいしな」 「無理をさせたくない?」 「いやいや。帰って来たときに家に誰かがいる環境であってほしい,だそうだ」 女性にとっては,そういう言葉は結構嬉しいものなのだろうか? キラはふと思った。 「帝王教育っていうヤツで,家に帰っても血の繋がったものは誰もいなかったから,せめて今は,とかいう理由らしいけど」 「そうなんですか」 帝王教育,という点について,思う事があったが,口に出さないでおく。 思ったことを素直に口にしない方がいい,深入りしてはいけない,というのがこのバーの鉄則である。 「顔もイイらしいしな。嫁がいて,金があって,地位があったら,俺にはもう文句の欠片もないんだけどなぁ」 つぶやくリズファンに,キラはくすっと笑った。 「・・・・・・そうですね」 それから,暫く話し込んでから,リズファンは帰っていった。 他の客のように身体を要求することはないし,それでも情報を流してくれるし,いい話相手だ。 そして,さらっとした性格がなにより,だ。 その日は,久しぶりにホテルから外出をする予定になっていた。 普段の生活用品は,ホテル側に頼んでいる。 給料だって,カードを使えば現在地が特定できるという理由から,手渡しだ。 ネオンの輝く町に足を踏み出すと,キラは,待ち合わせに使っているレストランへと足を向けた。 と,そのキラの前方に見た事のある姿が目に入った。 誰だっけと思い返す前に,思い出される名前。 イッシンだ。 隣には,腰を抱いた男性がいる。 ――――あれが旦那さんなのかな? 暗い夜道にははっきりとしたことは分からない。 しかし。 歩けば歩くほど,キラとイッシンの距離は狭まっていく。 そこでキラが見た,イッシンの旦那とは。 「アスランっ!」 まさかそんな事なんて,思いもしなかった。 思わず,名前を呼んでしまった所為で,アスランがこちらを見る。 と,アスランと視線が合った。 「・・・・・・ッキラ!!!」 キラは,駆け出した。 約束の場所では,なく。 アスランから,逃げるために。 何もしらないままが良かった。 相手の顔なんて知らないままが良かった。 あれから,キラは直ぐにホテルへと戻った。 そして,フロントを通して,イザークへと電話を繋げる。 確かに,相手が電話を繋いだと分かると,僕は一気に告げた。 「ごめん,行けない」 多分,僕と分かっている筈。 返事を聞きたいわけでもないから,僕は直ぐに電話を切った。 そして,キラは,急いで荷造りを始めた。 アスランにこの場所は知られているから。だから,この場所を離れたかった。 ――――もう,嫌だ。 もう,アスランに会いたくなかった。 分かっていた。アスランには正妻がいるっていう事。 僕が愛人だという事。 分かってた。 受け止めているつもりだった。 でも。 ――――好き。 この気持ちだけには,抗えなかった。 このままじゃ,未練を引きずってしまう。 ここにアスランがきた時に,言ってしまいそうで。 「僕だけを見て」 と。 バーのオーナーに電話を繋いでもらい,知られにくい,しかしそこそこ繁盛しているバー,そして隣接して建っているシティホテルを探してもらう。 程なくして,教えれられたのはここからそう離れていない場所だった。 「残念だわ」 本当に,惜しそうにいうオーナーの声に,キラは申し訳なさそうに謝った。 「すみません,本当に。そして今までお世話になりました」 「次のバーのオーナーは私の友人が経営しているから,また言っておくわ」 「ありがとうございます。それから,僕を求めてやってきた人には,新しい店のことを教えてあげておいてください。お願いします」 「私の店から客をとっていく気?フフ。まぁいいわ。教えておいてあげる」 「ありがとうございます。そしたら,・・・・・・また遊びにいくので・・・・・・」 「ええ,元気でね」 「はい。では失礼します」 オーナーと話を終えると,キラは急いで名刺を取り出した。 書かれた名前は「リズファン・エマーソン・タツミ」。 そこにキラは電話を繋いだ。 「もしもし,タツミですが」 「もしもし,キラです」 「あぁ,君か。どうした?」 「ちょっとお願いがあって・・・・・・。携帯をリズファンの名前で契約してほしい・・・・・・。もちろん,お金は僕が払う。手渡しで・・・・・・」 「未だ,居場所を知られたくない?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「分かった。その件については,了解する。明日にでも店に届けるよ。ちなみに,お金なんていいよ。俺が払っとく」 「そんなの悪いしいいよ!それくらいのお金ならあるから,僕が払う。それから,明日から店が変わるから」 「何処?」 「ここの店から5分程離れた帝都ホテル。ホテルの中にバーがあるらしい。1つ目はどうどうとした,誰でも知っているような店なんだけど, そこより更に下に大物さんが出いるするバーがあるらしいから」 「了解。なら明日。.」 「お願いします。」 それから,3ヶ月が経った。 ホテルを変え,携帯を買い,アスランとは全く会っていない。 携帯は,半は,顧客となっている客と会うための手段とも言えた。 電話の通知をディスプレイが知らせている。 名前を見ると,客の一人だった。 「もしもし?インクウィジター?」 「やく分かったね?今日は何処で会う?」 インクウィジター。新しいバーで出会った一人。 「Sホテル」 「10分後に」 部屋には,卑猥な音だけが響いている。 そして,互いを呼び合う,途切れ途切れの声。 熱い楔に,受け入れるべきでない所を侵され,キラは幾度となく喘いだ。 インクウィジター,と。 しかし。 心に浮かぶのは,ただひとり愛したひと。 ずっとずっと,想い続ける。 あのひと。 口にすることはもうないけれど,心の中にはずっと住み続ける。 忘れない。 その鮮やかな記憶。 多分,忘れたくても,アスランが忘れさせてくれない。 忘れたくても,忘れさせてくれないだろうし,そしてキラ自身も忘れる気は,ない。 それは,きっとアスランにもいえるのかも知れない。 まるで鈍色に輝く銀の鎖のように。 お互いを引き離さない。 緩やかに,こころを縛る。 |
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