大切なこと。

第4話*成れ果て





「キラの網膜の中心動脈に血栓がある。」
「……!?」
血管の中で何らかの原因で血が固まってしまうことがある。これが、血管に詰まり、血流が妨げられるのだ。
つまり、ここでいうと失明の恐れがあるということだ。
「今すぐ手術が必要ではありませんか?一体どういうことです?」
命に関わらずとも、気づいているのならば、手術次第で略治ると言われている。
「キラが拒否するらしい。手術は嫌だ、と。」
苦々しく、イザークの声が吐き出された。
風がきついのか、電話ラインにノイズが生じてる。
びりびりした雑音が、耳に入った。
「治せるならば治したいのが、医者の本望だ。キラの、その結果を見た医師も強く勧めたらしいが、頑なに拒むのだそうだ。しかも、持っている病気はそれだけではない。
お前のクリニックへの紹介状についても書かれていたから、一体キラがどうなっているのか気になって、今日はそっちに出向いたんだ。」
本人の意思を無視して手術をすることは、絶対に出来ない。
それでも、こちら側にいる人間は、どうにか障害を持つような状況を避けるようにしたいと願うのだ。
少しの沈黙の後、再びイザークは話し出す。
「本当に、これがキラのことだとは思いたくはなかった。嘘だと思いたい。けれど、今日そっちに向かって、キラがそこにいるという現実を見て、ああこれは本当に本当なんだな、と思った。キラがそんな事態になっているとは、思いたくなどなかった。」
だから、今日キラに会ったときに、あれ程も驚いたというのか。
ラクスは、イザークの今日の驚きようと、その説明に少し腑に落ちないような感情も抱えつつ、イザークの話に相槌をうつ。
もっと、何か具体的な感情が、イザークの中にあったように思えたけれど。
「ふつう、ひとは望んでものの見えなくなる世界を選ばないだろう。そう考えてみると、キラにも何か原因があるんじゃないか、という訳で、クリニックでのキラの話を聞きたいのだ。」
思わぬ方向に話が進んでいくこの事態に、ラクスはしばらく何も言えないでいた。

カウンセリングを行う方法にはいろいろあるのだが、今回のキラに対する方法としては、特に何があったのか、つまり現状態に向かった原因を問う、ということを問うことはしなかった。
場合によりけり尋ねたりするのだが、キラの状態ではまるで、そんなことが良くなる方向に繋がるとは思えなかった。
このクリニックに来た、という時点で知り合いの方では見切れないと判断したのだから、重度的には重い方に属する。
きっと、キラ自身がとてもつよいにんげんだったのだろう、その証に、今のこの、こころがぼろぼろな状態でも、相手には何一つ、違和感を与えない。
けれども。
これ以上、キラ自身を苦しめるのは、彼の精神の基盤となるだろう時間軸さえもずるずると変化を帯び、今以上にひどい、虫食いの大きな記憶を持つことになるだろう。
それが、どこまで大きな影響を及ぼすのかは、未だ分からない。
しかし、今までの治療で分かってきたことは、ひとりのキーパーソンを中心に記憶が失われていること、また、その後現在に至るまで、進行形で記憶の層にゆがみが作られ、そしてそのゆがみが時間軸をゆるやかに崩し、現時点で、幼い頃の記憶が殆どあやふやに近い。
もしかすれば、この幼い頃の記憶も、そのキーパーソンが関わっている可能性があるのだけれど。















ところで、家に捨て犬を連れて帰ったキラは、早速彼の世話に明け暮れていた。
まず、インターネットで犬種について色々と始めるところから始まった。
散歩は1日1時間以上が望ましい。
寒がりなために、室内犬向き。
子犬のうちは、いたずらが多い。
家に上げてから一発目から部屋のフローリングの上でトイレをされてしまったが仕方がない。
もっと言うならば、この家が全てフローリング加工であることを喜ぶべきだと思った。
部屋の隅に設置した、トイレにちゃんと排泄できるように、これからしつけなければならないのだ、と思うと、妙にやる気が出てくる。
犬のための無脂肪牛乳を水で薄めたものを飲ませ、子犬用の少しカロリーの高い餌を与えると、子犬は無造作に置かれていた、ピンク色の毛布の上で寝始めた。
子犬の安らかな寝顔をみて、キラを思い出した。
「そうだ、お前に名前が必要だったんだ……!」
どうして、名前を挙げるという大切な行為を忘れてしまっていたんだろう。
少しだけいやな気持ちになりながら、キラは何か言い名前はないかと思考を巡らせた。
―――何かいい名前はないかな……
「あ……あ……アスラン、アスラン、アスラ、ン……」
誰かに使われていた名前だったろうか。
否、知り合いにこの名前のひとはいなかったはずだ。
「アス、ラン……。」
なんて舌に甘い名前なんだろう。
そして、とてもやさしい名前だ。
「よし、お前の名前はアスランだ。アスラン……僕が飼い主。お前はアスラン。」
すう、すうと動く背中をゆっくりと、キラの手はやさしく撫でた。

次の日、念のためにと動物病院へと向かい、病気や注射などがきちんと済んでいるかの確認をしてもらう。
色々と調べた後に、獣医は問題ないと言った。
「拾った者の責任を、このこのためにも果たしてやってくださいよ。」
しみじみと獣医が言うのを、キラは真摯に頷いた。
















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