大切なこと。 第6話*腕を伸ばして |
アスランがインターホン代わりになる。 それまでは、ずっとリビングの中をぐるぐる回ったり、彼のためのおもちゃと格闘しているのだが、家の前で誰かが立ち止まったのを察知すると、彼は吠える。 やはり、こんな集合住宅で犬が吠えるというのは、近所迷惑だからと、吠えないように躾けているのだが、吠えた後、必ずといってインターホンが鳴るのを意識してから、もう怒るのを止めてしまった。 今日も、軍手と格闘していたアスランは、ひとの気配を察知したのか、玄関の方を向かって吠えた。 「はいはい、誰か居るんだよね。アスランはここで待ってて……はーいっ!」 聞こえるかどうかは疑問だが、大きな声で答え、玄関のほうへ走る。 扉を開けると、ピンクの髪のラクスが立っていた。 「とつぜんお邪魔してすみません。あの犬ちゃんのおもちゃを買ってきたのですが……。」 「わざわざありがとう。良かったら、あがってよ。」 「まあ、ありがとうございます!。では、お邪魔しますね。」 キラの家に上がると、アスランは、リビングの端の方でじっと彼女の方を見つめる。 窺うように。 「そういえば、キラ。この犬ちゃんの名前は何と言うのです?」 もてなしのためのコーヒー豆を挽きながら、キラは答える。 「名前は、アスランって言うの。オスなんだ。」 「まあ……。」 よく知る自分の友人の名前と同じで、ラクスは息を漏らした。 まさか、ひとの名前と分かっていながら犬につける人間などいないだろう。 「こんにちは、アスラン。はじめまして。」 恐る恐る手を伸ばし、彼の頭を撫でると、洒落頭を触っているような気になる。 骨の上にあるのは、皮だけの。 自分の友人と同じ名前を、犬に呼びかける、という奇妙な感覚に、ラクスは唇に笑みが浮かぶ。 自分がここに来た理由も忘れてしまいそうになる。 笑みを忘れず、しかし頭の中をしっかりと覚醒させなければならなかった。 やはり、キラと取り留めの無いように、過去の話を持ちかけても、何も思い出すことはないようだった。 ただ、関連性として、残っているのが、クリスマス行事は苦手で、クリスマスツリーのライトはさびしい気持ちになるという。 精力的に、時間の空きがあるときには、キラの家に通ったが、何も成果を挙げることは出来なかった。 ラクスは手段が見つけられずにため息を吐き、イザークはもう我慢なら無いと彼女にこう持ち掛けた。 「……友人には出来る限りこんなことはしたくはないが、こうなったからには探偵にでも依頼しようかと思う。」 友人にこんなことをするがおかしい、ということをイザークも分かっている。 しかし、こうせずには居れなかった。 「イザーク。」 静かにその名を紡いだラクスの瞳は、静かだ。 「どうして、あなたはキラのことになると、そんなにも普通ではない方向に走ろうとするのですか?ミドルスクールで同じだった、その後に少し連絡を取り合っていた、と言っていましたよね。それならば、何かキラの近くにいる人間のことや、その他の誰かがいるということを知っていてもおかしくないと、私は思います。」 憮然としない、今までのイザークの行動に、ラクスは信じられない思いを抱いていた。 常識と普通を誰よりも好み、その道を選ぶ彼が、どうして自らその道を外そうとするのだろうか。 「ちゃんと、話しておくべきだったな……。俺はキラに恋人志願した。」 ゆるく握った拳を、イザークは見つめた。 「ミドルスクールはずっと一緒に行動していた。あいつは、誰かと一緒に居たがる癖があったからな。一緒に居れる位置に満足していたら良かったんだが、卒業式、離れることが辛くて思わず告げた。」 握った拳の指を解くと、現れるのは、開放された、そこに詰まっていた空気だ。 少しの熱が、そこには残っている。 「まあ、その返答は想像通り、フられたさ。自分にも好きなひとがいるのだ、とな。そんな風にミドルスクールを卒業したから、その後は連絡を取り辛くてな。その後、新しい住所に変わったときにメールが届いたから、その時に少し電話で話したりしたくらいだ。」 広げた手に残るものは、何もない。 少しの熱もどこかに逃げてしまい、何もかも無くなってしまった。 「多分……キラの記憶は少なからずとも、その好きなひとに関していると思うがな。ああ、俺にはもうあいつへの名残はない。……ただ、自分の大切なひととして、心配だ。」 息をのむ。 今は、自分のことをきっと、大切に思ってくれている、あのひとがいるから。 あの、タラシのような、それでもとても優しい彼が。 「必ず幸せになって欲しいと、キラには思う。昔に想った人間として。目が見えなくなるのが、俺達にとっては幸せでないだけで、キラにとっては幸せであるかもしれない。けど、俺は、そうは思わない。感じる感覚は視覚が全ての80%を占めているんだ。これが、無いよりある方が、世界がうつくしくみえる。必ず。」 顔を上げてラクスを見つめると、彼女の目にも思う所があるのだろうか。 憂いのある、あおい瞳をしていた。 「医者から見たものでしか言えないけどな。……調査を依頼したい。」 自分の言いたいことは、どの立場で言っているのか、自分でもはっきりとしないくらいぐちゃぐちゃだ。 しかし、キラが大切で、防げることは未然に防ぎたい。それから、彼が幸せになってほしい。 想うのは、それだけだ。 それが伝わったのか、溜めていた息を吐き出したラクスも頷いた。 「そうですわね。私も、それに依存はありません。」 なんて皮肉なのだろう。 医者の端くれである自分のちからで、キラの心を休ませてあげることは出来ず、他の力を借りて原因を探ろうとする。 そのくせ、目の治療は医者のどこかの端くれによって治療される。 どうして、こんなにもひとは無力なのだろう。 決して、手を抜いたというこはない。 時間の許す限り、話を出来る限りしたけれど。 それでも、自分というちっぽけな存在が許せなくて、なんてちからのない人間なのだろう、と深く思ってしまう。 願うのはひとつ。 キラが幸せであったらいい。 これは、私たちの傲慢な願いですか。 パソコンを触っているとき、アスランは大抵キラの傍で、ゴムのボールを噛んでいる。 ラクスから受け取った、犬のおもちゃたちは、殆どアスランの気に入るところなのか、どれも盛大に遊んでいる。 ただ、人形などはあまりすきではないようで、布に関しては軍手の方が好みらしい。 それをたまに取り上げ、どこかに投げると、それを走って取りに行く。 その後、再びキラの傍によって、再びボールを噛み始める。 いつも、そんな風な、緩やかに時間が過ぎていく。 このときも、赤い、少しココアの匂いのするボールをどこかに投げようとしたときだった。 アスランを見ると、ボールを口から離し、玄関の方を見ている。 「どうしたの、アスラン……。誰かいるの?」 言った途端、アスランはけたたましく吠え始めた。 「どうしたのさ、アスラン。誰かいるの?」 いつまで経ってもインターホンは鳴らず、不思議に思う。 誰か、玄関前に居るのだろうか。 気になって、そこに行って見ることにした。 いつも土間に置かれている、靴を足に引っ掛け、扉に手をかける。 「誰かいるんですか……って誰もいない、みたい……。」 そこに、ひとひとりいなかった。 その変わり、そこには雪が落ちていた。 「ゆき……きれい……。」 ひとつ、手にとってみると、六角形のうつくしいかたしがそこにはある。 姿をみせて、そして、水へと消えて。 降り落ちる、雪をキラはいつまでも見つめていた。 |
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