大切なこと。

第7話*再会





アスランが家にやって来てからというもの、確実に散歩に出ることが少なくなった。
散歩デビューを迎えたならば、そういうことはなくなっているのかもしれないが、今は出来るだけアスランを家に放って、どこかに行こうという気にはならない。
どうしてだろう。
獣医さんと、留守番などのことについて話したときには、やはり人間が世話をするのだからある程度人間に合わせるべきだと言っていた。
餌の時間もそうであるし、外出の場合も、決して犬を放って家を出ないということは今後、有得ない話である。
やはり、普段から程ほどには留守番も出来る必要であると言われた。
別に、アスランを溺愛しているが故に、留守番をさせたくないという訳ではないと、思う。
しかし、放っておくのは、それを受ける側はとても寂しいのだ。
とてもさみしい。
そういう気持ちを出来るだけ抱かせたくない。
でも、どうして、こんなにもこの想いに固執するのだろう。
自分でも分からなくて、キラは頭をかしげた。
そう、最近は自分でもどうしてなのか分からないことが増えてきた。
根拠がない。どうしてなのか、理由が分からない。
ずっと昔はすんなりと、そうだと思えていたように思うのだけれど。
僕の中から、どれほどのものが消えていっているのだろう。
確か、はじめて自分がおかしいのじゃないかと思ったのは、うどんの値段が思い出せなかったこと。
あのときは、本当に自分でも明らかにおかしいと思った。
それまで、ずっと勤めて何年も食べていた素うどんであったはずなのに、値段が思い出せなったあの、瞬間。
病院に行って、それからラクスの元に通うようになって、そういう生活する上で必要なものが消えていくことはなくなった。
そちらについては、今とても安定しているだろう。
しかし、こころの部分は、一時期に比べて、すっかりと虫食いの増えた記憶になっている。
かけたピースが段々と増えていっている。
それは、真ん中のほうであったり、隅の方であったり、いろいろなことろから欠けていっている。
何に引っ掛かって欠けるのか、それとも風に飛ばされて消えていくのか、何れにしたところで、そのパズルの絵柄が段々と描きにくくなっている。
どこに行ったのだろう、それらの粒たちは。
いつか戻ってくるのだろうか。
漠然とした想いだけが、キラの中を支配していた。





















今日は昼から夕方まで私用で出てくる、という言葉を残してオフィスを後にしようとすると、唯一デスクにいたルナマリアがまるで意外だというように、アスランを見た。
「あら、私用だなんて、めずらしいですね。」
彼女を除く他のひとは皆出払っているようだ。
フロアはいつもと違い、静かな雰囲気をかもし出していた。
「ああ、まあ少しな。あと、君たちを探してくれたタツミさんとも会う予定だ。」
「へえ。何か仕事の用ではなくて?」
「……俺にもいろいろとあるんだよ。」
どう答えたら良いのか分からず、アスランは言葉を濁した。
元婚約者だった彼女の今の彼氏です、とは答えられず、外套に身をくるみ、扉を手にとった。
「じゃあ、後をよろしく。」


約束の時間は、ひっそりとした通りにある、常連の多い料亭で、15時。
微妙な時間ではあるが、茶菓子が出るらしく、その抹茶が美味しいのだと、ビアータは言っていた。
約束の五分前に、場所に着き、部屋を案内をしてもらっていると、同じように案内されている人間が後ろのほうにも居る。
声を聞く限り、どうやら約束した彼女のようだった。
部屋に着くと、程なくしてビアータが部屋に着いた。
「お久しぶりですわね。」
「ええ、こんにちは。」
確か、最後に顔を合わしたのが、会社を起こす前だったのだ。
それは丁度三月ごろであったから、もうあれこれ半年以上も会っていなかったのである。
一時期は、縁談の仲としてカムフラージュの意味も込めて、頻繁に会っていたのが、今となっては懐かしい。
あの時に比べ、また少し髪が長くなったようだ。
優しい笑みはそのままで、しかし、彼女の雰囲気は少し変わったように思う。
「今日は、お時間ととってくださってありがとうございました。」
「いえいえ。こちらこそ、久しぶりに会えて何より。」
そう言いながら、ふたりは座敷に入り、席についた。
「お仕事のほうは如何ですか?」
「ええ、タツミさんのお陰で、順調に上手くいっています。」
タツミ レイからの資金に人材、とてもお世話になった。
人材に至っては、非常に役に立つ、という表現はもののような気がするためにどうかと思うが、本当によく働いてくれるのだ。
「そうですか。きっとレイも喜びます。……きっと四時ごろには、彼も来ると思うのですが……。」
そういって、腕時計をビアータ見たとき、丁度女将が茶菓子を運んできた。

並べられたものは、濃い抹茶と、添えられたのは、もみじを模した饅頭であった。
「綺麗ですね。まるで古都に居るような気分になります。」
素直に感想を述べると、ビアータはうつくしい顔を笑みに変えた。
「ええ。ここの料理も美味しいですけれど、私は茶菓子も好きです。」
そう言って、ふたりは早速頂くことにした。
「食べ物に、どうして高価なものと、そうではないものがあるのか、私はいつも不思議でした。確かに味も少しは変わってきますけれど、そう値段が釣りあがる理由としては、納得できずにおりました。けれど……。」
言って、彼女は抹茶を啜る。
「高価なものは、しんどいときにでも食べると、とても嬉しい気持ちになりますね……。食べると、ああまた頑張ろうって思えるのです。最近、こういうことが分かるようになったんですね。」
ふふふ、と彼女は笑う。
その顔に、辛さの微塵も見えなかったけれど、その奥にはきっと深い暗闇があったのかもしれない。
「ビアータの方は、あれからどうだったのですか?」
縁談は破談。
自分の父親こそ、そこで自分の擽っていた自分の中の有耶無耶との解決もあり、とても良いたいけつであったけれど、彼女は一体どうなったのだろうか。
「父は破談については何も言いませんでした。けれど、タツミのことは凄く怒っています。」
彼女は困ったような表情をした。
「けれど、一時期に比べればずっと良くなったのです。もう会うなと、最初の頃は何度も言われましたから。けれども、父親に別れろと言われて終わるような恋愛をしていないつもりなので、そんな言葉は常に馬耳東風、ですけれどね。」
そして、そんな表情から、からりとビアータは笑って見せた。
「縁談のときには、本当にありがとうございました。」
「そんな、こちらこそ、タツミさんにも十分お世話になっていますし、何より貴方には、何度も相談に乗ってもらいました。」
「いえいえ。そういえば、残らないといけない気がする、と仰っていましたけれど、どうなんですか?」
「ああ……そのお話ですね。」
言って、アスランは居住まいを正した。
別に崩したという訳ではないが、それでも正さないといけないような気がした。
「俺のほうからいろいろと調べてみたんです。振られたそのひとのことを。」
メールや手紙は一切届かなかった。それは当たり前のことなのだろう。
しかし、今でもあの寒々しい気持ちを思い出すことができる。
冷え切った食事、朝陽がうっすらと上り始めた、白い部屋の中に、光るクリスマスツリーのライト。
あの空間をアスランはずっと忘れることが出来なかった。
あれを払拭したいのか、それとも、彼にすまなかったと乞いたいのか
自分では未だよく分からないのだけれど、ひとつ、謝りたいと酷く思うのだ。
しかし、どこでそう過ごしているのかさえも分からないアスランにとっては、何の手段もなかった。
「本来なら、こういうことをすべきでは無かったんでしょうが、どうしようもなかったので、そういうことを生業にしているひとに頼んでみたんです。」
「そしたら?」
「同じ都内の中の、といっても少し離れた郊外に近いところに住んでいるようです。でも、分かったのはそれだけではありませんでした。」
消息さえつかめ、どこに住んでいるのかが分かれば、それで良かった。
それで、インターホンを鳴らして、顔を見て、そして話がしたいと思った。
世界は、アスランに優しくなかった。
「どうやら、クリニックに通っているらしいのです。病状などの記載はなかったのですけれど。」
「どこのクリニックなのか、書かれていたのですか?」
「いいえ。何日までに結果を知りたいとお願いしたいたので、それまでにどこのクリニックかは分からなかったらしいです。けれども、友人がクリニックを経営しているようなので、その伝手で尋ねれば、いろいろとお話を聞くことも出来ると思います。けれど……。」
「けれど?」
言葉が詰まりそうになるたびに、ビアータは言葉を突きつける。
話しにくくなってきたとき、会話が止まると、話も止まってしまう。
こころの中の辛いことは、少しでも落としていくべきだ。
「俺は、怖いです……どうしてクリニックに通っているのか、とかどういう病状なのかということを知るのは、辛い。きっと俺の所為だから……。」
















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