たとえ、なにがどうであっても。 |
事故に遭ったけれども,強く膝を打っただけで,それ以外には小さなかすり傷くらいしか出来なかった。 相手側には病院に行ってくれと言われたが,今すぐは行けないと返すと,じゃあ近日中には必ず行ってくれと言われた。 何かあった後では遅いのだと,その時は気付かなかった。 仕事でどうしても抜けられないものが多く,結局病院に行ったのはそれから一週間がたった日だった。 アスランとの約束さえも仕事の接待で潰れてしまった。 その一週間のうちに膝の痛みは日一日一日と酷くなっていて,病院に行くにはタクシーを使うほどだった。 それでも,そんなに酷いものだとは思わなかった。 「手術が必要です」 だから,そんな医師の声音がとても怖く感じた。 とりあえずその場で痛み止めを打って貰って,家に帰って入院の用意をして再び病院へと向かった。 両親の連絡先を訪ねられたが,年早くに亡くなったので,懇意している課長にだけ話をした。 アスランにもしようか,と思ったけれど,気持ちがそれどころでは無くなって,結局出来ないままだった。 その二日後に緊急手術と称したそれが行われた。 はじめに目に点いたのは,薄いグリーンの壁の色だった。 ぼんやりと写るそれには,小さく葉の柄が印刷されている。 それは端の方になると薄く染みが出来ていた。 酷く痛んでいた左足は,もう痛みはなくて,しかし感触もなかった。 本当に足があるのだろうか,といった感じ。 それは,医師の言葉を聞いてしっくりきた。 神経が切れているのだ,と。 リハビリとしてみると良い,と言われたけれど,そんなことをする気にもならなかった。 きっと歩けないだろうから。 エレベーターがあるから,そう不自由ではないけれども,自分の腕で動かさないといけない距離を考えると憂鬱で。 たまに動きにくい車を動かして,中庭に下りる。 そして,普段は切られている携帯電話の電源を入れた。 普段はパソコンのメールでやりとりをしているのだが,何か口で伝えないと分かりにくいようなことを電話で会社に電話をする。 「無理は良くない。 けれど,戻ってこれるのなら戻ってきなさい。 君の席はいつでも用意してあるのだから。」 元々,会社事態がバリアフリーに優しいものであるし,幸いというべきなのか課長も思いやりのある優しいひとだ。 それは周りのひともそうだろう。 しかし,どうしても会社には行こう,とは思えなかった。 社長の息子,アスラン。 彼には,まだ自分のことを何も話していない。 この間の休みの日に,ごめんと謝ったきり何も話していないのだ。 病院に入院して手術をして今こうして車椅子を使っていることを。 亡きキラの母の弟である課長は,独りになったキラを育ててくれたひとで,彼にだけはちゃんとした事情を話しているが,それでも会社へ提出した理由は養生,としている。 しかし,養生,ではないことが知られてしまうのも時間の問題だろう。 そして今現に,携帯にもメールの数々と留守番電話が携帯に受信されている。 心配している,と伺わせるメールであっても,いざ自分の格好を見ればアスランはきっと失望するだろう。 自分の身体さえも,自由に扱えない,不自由な人間のことを同情の目で見るだろう。 そして,きっと自分は捨てられるのだ。 こんな欠落のあるからだを。 それなら,連絡が取れなくなってそのうちに忘れられていく方がいい。 醜い自分を忘れようと思うのではなく,風化している記憶の中で忘れられる方がずっといい。 手の中の携帯が震えて,着信がアスランであることを知らせる。 知らず涙が零れた。 車椅子を使わないといけない生活を強いられると,一番に困るのは家,である。 父と母が生きていた頃に一緒に住んでいた生家を車椅子でも使いやすい家に変えなくてはならない。 それを業者と話をし,医師と話をして決めた。 退院をしたのは結局入院をしてから二ヶ月経った時だった。 車椅子を使っていて一番に気がついたのは,目線が大きく変わったことだった。 今までよりも大幅に下に下がったそれは,自販機を見る時などがとてもつらい。 それに,道路や店には何かと段差が多く,それに一々引っかかってしまう車椅子に沈痛の思いにさせた。 外に出ると必ず感じるひとの目線も苦しくて,キラは段々と外に出ることをしなくなってしまった。 生きることに疲れる,そう思ってしまうと,何もかもが億劫に感じられた。 テレビを付けると必ず聞こえてくる笑い声が白々しいものに聞こえてくる。 今の季節が一体何なのかもわからなくて,自分だけがずっと湿気の多いじめじめとした梅雨の中に立ち止まっているような気になる。 ぼんやりとパソコンのキーボードを見つめているとインターホンが鳴った。 車椅子を押して玄関に出て,扉に手を掛けて,やめた。 どうせ,特異な目で見られるだけなのに・・・・・・。 そう後ろ向きになってしまえば,もう応答するのは嫌になってしまう。 居留守を使おうと,部屋のほうに引き返そうとすると,外にいる相手が家の玄関の方に近寄る気配がした。 「誰かいるんですか? ・・・・・・もしかしてキラ・・・・・・・?居るのか?」 そう言いながら近づく声。 懐かしいアスランの声。 応えようとして,やめた。 こんな無様な姿を見せるというのか? じり,と動いたのが間違いだったのか。 「誰かいるんだろう? キラ? キラ? 誰か,居るんじゃないんか?」 扉を叩く音がすぐ傍でする。 どんどんと叩かれると,床にも振動が響くようだった。 何度も呼ばれる名前が,未だ自分を必要としちえるような気がして,扉を開けてしまいそうになる。 「キラ,キラ? 居るんだろう? どうして返事をしてくれないんだ?」 何度も呼びかけられることが,相手に申し訳ないような気になる。 自分はそんな存在なんかじゃないのに。 どうしても,縋ってしまいそうになる。 でも,このまま呼びかけを無視したとしても,アスランはきっとずっとこのままてこでも動かないだろう。 長年の付き合いがそう思わせて,だから結局応えることにした。 じりじりと車を動かす。 扉の鍵は開けず,壁を隔てて応えた。 「アスラン・・・・・・」 何度呼びかけたか知れない名前を口にのせると,それはとても甘く,そして苦く。 「キラ・・・・・・? キラなのか! 今までどうしてたんだ? ずっと連絡していたのは知っているだろう?」 案じてくれているのか,それとも。 「ごめんね,ずっと無視してて・・・・・・。 もう会えない」 何て応えたら良いのか分からなくて,出てきた言葉は何とも至ってシンプルだった。 「どうしてなんだ? 何か理由があるんだろう? それとももう俺には話せないか?」 表情は見えない。 けれど,きっと,苦しげだろう。 「・・・・・・・」 不自由な身体で,一体何が出来るというのだろう。 まだまだバリアフリー世界とは言いがたい今の世では,車椅子ではとても移動がしずらい。 そして,それはきっとアスランの手を煩わせるだけのものになるだろう。 きっと自分の姿を見れば,アスランだって逃げるだろう。 それだけは絶対にしたくないと思っていたのだけれど。 「療養って会社には出ていたけれど,それが関係しているのか?」 突いて来られたところが痛い。 でも,このままでは何も変わらないだろうから。 「あの,事故に遭ったんだけど・・・・・・」 その続きをどう言葉にしたらいいのか,咄嗟の頭の中では考えることが出来なくて,この姿を見てもらうのが一番早いだろうと思い意を決して扉に手をかけた。 静かに開けると,外の日差しが入ってくる。 それから,アスランが立っていた。 目が大きく見開かれている。 「ね・・・・・・。 分かるでしょう?」 自嘲の笑みが漏れるが,それと共に涙まで零れてしまった。 見せるつもりのなり雫が冷たい。 「どうして・・・・・・どうして黙ってたんだ?」 「え・・・・・・・」 貴方にこんな姿を見せたくなかった,とは言えなくて。 黙って俯いていていると,声が降ってきた。 「そんなに,身体目当てだと思ってた?」 「・・・・・・・」 違う,とは言えなかった。 本当に怖かった。 自分が捨てられそうで。 「愛してる,って何度も言ったはずなんだけどな。 やっぱりキラのこころには届いてなかったんだな。」 悲しく響く声音が酷く苦しい。 「ずっと心配だった。 連絡がとれなくなったんだから,本当に焦った。 興信所でも何でも雇って状況を盗み見することは出来ただろうけど,それじゃ駄目だと思って黙って様子を見て,きっと連絡があると思って待ってたんだ」 「・・・・・・うん。 ごめん。」 謝る以外に何を言ったら良いのか,本当に分からなくて。 「もっと早くから言って欲しかったな。」 「うん。」 「で,キラはずっと車椅子と一緒に生活をしないといけない?」 立っていたアスランは,膝を折って,キラと同じ視線に合わせる。 急に変わったその表情と接し方に,キラは少しの時間戸惑った後に答えた。 「う,ん・・・・・・多分無理なんだと思う・・・・・・・」 キラにだけ見せるであろう優しく緩んだ表情が眩しい。 「じゃ,俺,キラの脚になるよ。」 突然の発言に吃驚して,キラは何も答えることが出来ない。 さっきからアスランの目まぐるしい変わりように,キラは何が何だかよく分からなかった。 「俺はキラの身体が好きになったんじゃない。 キラがキラであることが俺は嬉しいんだ。 だから,足が不自由になってもその他に不自由なことがあってもキラの傍にいるって決めてるんだ。 キラのこと,愛してるから」 その言葉が聞こえなくなると同時に,身体を抱きしめられた。 ひどくやさしく。 「俺はずっとキラと一緒にいる。」 いつの間にか,陽が傾いていた。 橙色の光が,散りばめていた。 「うん。ありがとう」 怖かったとか,捨てられると思ったとか。 欠落のある体だとか。 こんな身体でごめんなさい,とか。 思っていたことを吐き出したら,ずっと楽になった。 ずっと握ってもらっていたその手のひらがとても心強くて。 また涙が零れてきて,後から後から零れてきて。 それを掬ってくれるアスランの唇が温かかった。 |
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