Better Helf 番外編:日々暁光 |
隣には,誰もいなかった。 皺のいったシーツからして,彼はもう抜け出したようだ。しかも,そのシーツももう冷たい。 その感触を指で確かめてから,キラは静かに身体を起こした。 からだが重たい。 それでも,その重さは苦しいものなどではなく,むしろ心地よい。 前に感じた時は,あらゆる意味で苦しかった。 自分ではない新しい遺伝子を包んだ身体を,本当に愛してくれる人はいなかったと思っていた。 この新たな命を持つ小さな人間が,父親を知らずにきっと生きていくことになるだろうと思っていた。 本当の,心の底に溜まった不安感と懸念感,それをぶつけることの出来るひとはおらず,辛かった気持ちが今でも鮮明に思い出すことができる。 しかし,状況が変わって。 今は,自分と新しいいのちを包み込んでくれるひとがちゃんと傍にいる。 手を伸ばして,苦しいと言えば,何等かの方法で必ず助けてくれる。 とても幸せだと思う。 これ以上の幸せなどきっと感じることはないだろう。 窓の外に広がる,空のあおさと,白い雲と,青々と輝く緑の芽をぼんやりと眺めてから,腰を上げた。 リビングに入ると,甘い匂いが広がっていた。 「おはよう」 カウンターに広がっている食材を見ると,考えられるのは,フレンチトースト。 「おはよう,キラ。 もうすぐ朝ごはんが出来るから,待ってて」 エプロンをつけたアスランは,休日になるといつもキラにやってもらってるから,といって自らキッチンに立つ。 それは,未だキラには慣れなくて,どこかとてもくすぐったい。 でも,うれしい。 アスランの言葉に甘え,テーブルに腰掛けていると,程なくして食卓に皿などが並べられた。 つい最近まで酷かった,食べ物の匂いが気持ち悪い,という状態も終わったのか,今では皿の上のそれらがとても美味しそうに見える。 いただきます,とふたり揃って手を合わせてから,キラはフレンチトーストに簡単なサラダ,そしてオレンジジュースに手をつけた。 「味はどう?」 食べるその行動を,じっと見つめていたアスランは,それらをひととおり口にしたキラに尋ねる。 その行動が可笑しく思えて,キラは笑いを零した。 「美味しいよ,とても。」 素直な感想を述べると,アスランは安心したように息を漏らす。 それから,ジュースを手にとって勢いよくそれを喉に流した。 喉仏が動くその動作をじっと見つめてから,キラは再び止めていた手を動かした。 ただの仕草ひとつひとつが,とてもアスランらしく思えてきて仕方がない。 格好いいと思う。 一緒に過ごしている時間はとても長いのだろうけれど,それらの仕草になれることはほとんどない。 要は,こんな,アスランが自分の旦那になって,自分達の子どもの父親になろうという状況であっても,惚れっぱなしだということだ。 食べ終え、食器をシンクに下ろそうと席を立つ。 「よいしょ」そう声をかけて立 上がり食器を掴もうとするとそれらを大きな手に遮られた。 「キラは休んでいた らいい。俺がするから」 そう言われてしまえば手持ちぶたさになってしまう。 どうしよう、と縋る目でアスランを追うと、キラはふわりと抱き上げられた。 「ソファでゆっくりするといいよ」 こう言われて、横にされたのはこれが初めてではない。 ひとつ屋根の下で過ごすようになってから、度々キッチンの洗い物や部屋 の掃除をキラに代わってやっている。 結婚してからもそれは続き、そしてそれは新しい命をキラの身体に宿してからは,さらに酷く,過保護のようになったのは言う間でもないことで。 「ありがとう」 キラには,こう返事するしか残されていなかった。 しかし,それは嫌々などではなく,こころに満ち溢れてくる幸福感を言葉の端に滲ませていた。 暫くしてから,アスランがソファへと寄ってきた。 どうやらキッチンの片付けが終わった模様で,彼はそのままキラの隣に腰掛けた。 膝の上に置いたキラの手を握る。 「身体の調子はどう?」 キラも握られた手を握り返した。 優しく。 「うん? 全然大丈夫だよ。 お医者様も問題ないって。」 「そうか。 ならよかった。」 芯底安心したというように息を吐く。 「普通は早産やらなんやら,色々双生児にはあるみたい。 だけど,どうしてだか僕の場合は全く問題がないんだって。 普通のひとは,早い段階で入院したりするらしいんだけどね。」 そういってキラはアスランの顔に微笑みかける。 「どんな子が生まれてくるんだろうねぇ・・・・・・」 一切の検査をしていないために,生まれてくる子どもが男の子なのか女の子なのかも分からない。 もしかしたら,何か不自由なものを持っているのかもしれない。 それでも,大切に育てたいとキラは思っている。 アスランも同じように思っているだろう。 キラはアスランの手を握ったまま,自分の出っ張ったお腹を撫でた。 「お父さんも楽しみにしてますよー。 元気に生まれてきてね。」 笑いながらこれから生まれてくるだろう子どもに話しかけるキラの姿が愛しくて,アスランはその瞳を眇めた。 以前,キラの傍にいた子ども―――自分の子どもでもあったのだが―――を,自分が父親だと告げることの出来なかった悔いは,今もアスランの胸の中に残っている。 そういう状況が,キラと,その子どもに大きく影響を与え,辛くさせてしまったと思うと,とても悔しく思えて堪らない。 そして,自分の手ではないにしろ,自分との大きく関係のある手が子どもを殺してしまったこと。 全てを必ず忘れないようにこころに留めて,そしてこれから生まれてくるふたりの子どもを大切にしたいと,アスランは何度も誓うのだ。 8ヶ月を向かえ,ふたりの新しい命を抱えたお腹は,かなり大きい。 5ヶ月で「臨月?」と通院する最中に何度も聞かれたらしい。 「あっ」 上げたキラの声にアスランはふと我に返った。 「どうかしたか?」 「返事が返ってきたみたい」 「返事?」 意味が分からなくて尋ね返すと,そう,と満面の笑みが返ってきた。 「さっき話しかけたでしょう? じゃあほら」 と言って,キラは握っていたアスランの手のひらを,自分のお腹に宛がう。 「どう?」 直ぐには分からなかったけれど,それは少し待つとキラの言っていた「返事」に納得した。 頷くと,でしょ?とキラは笑った。 手のひらに伝わる,手や足を押し上げている感触が,とても気持ちよくて心地よい。 「生きてるなぁーって思うでしょ? すごくちっちゃいだろうけれどね。」 「ああ。」 「この子たちは,僕と全く違う遺伝子を持っているけれど,それでも僕とアスランのものから出来た子でしょう? そんなことを考えたら,すごく可愛く思えて来るんだよ。」 キラのお腹から離した手を,キラの肩へと乗せる。 そして,自分の方へ強く抱きしめた。 「大切に育てようね。」 「キラも大切にするから。」 |
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