2章 色づく華 3
十分に夜景を堪能した後、ふたりはアスランの家を出た。
「とても、綺麗だった……。」
「お気に召したのなら幸いだね。」
キラの腰の砕けたような声になるのは、何も景色が綺麗だったことだけではない。
アスランのマンションのエントランスの暗証番号が自分の誕生日であったこと、部屋に入るためのキーを彼から貰ったというのも大きな要因であった。
「それから、……鍵と番号も教えてくれてありがとう。」
腰に手を回されているために、アスランとの距離が近く、斜め上に顔を上げると、すぐそこには彼の整った顔がある。
お礼の気持ちを表すためにとった、自分の行動を思い出し、キラの心臓は再び、ばくばくと鳴り出した。
「まあ、学校サボってここに来ることは勧められないけど、来たくなった時においで。」
「うん、ありがとう。」
鍵は今、大事にかばんの中に仕舞ってある。
帰ったら、この鍵をどうしようか。
「じゃあ、車に乗って。キラの家まで送るよ。」
空には、静かな闇が舞い降り、月と星が我が物顔で夜を占有している。
近くといえど、閑静な住宅街に入ると、住所だけではどの家かは分からない。
キラのナビによって、アスランは彼女の家まで距離を縮めていく。
「そこを右に曲がったところの家が、僕の家なんです。」
右折し、さてどれがヤマト邸かと思うと同時に大きな豪邸が目に入った。
確かここらへんは都内の中でも交通の便もよく、近場には大きなデパートなどもあることから、かなり地価は高いほうに入るのだ。
一応高級住宅街と呼ばれている。
そこに構えている土地とその贅を凝らした建物を見る限り、ヤマト家が相当な資産家であることが分かったのだが。
しかし、思うところはそれだけでは無い。
キラの教育、それはキラの行儀に関しては特に、ご両親の手が掛かっているように見えた。
テーブルマナーや立ち振る舞い、それから必ず添えられる感謝のことば。
もしか、もしかすればと思っていたのだが、これでアスランの中で確証が生まれた。
「……もしかして、キラのお家って会社を経営してるよね?」
「あ、はい。父が全権取締役なので、家に居ないことが多いから、あまり父さんとの思い出って無いんだけど、優しい父、です。」
やはり。
今頃気づいたのでは遅いのだろうか。
家柄を見て相手を選んだわけではないけれど、これは物凄い女の子に手を出したのかも知れない。
後ろ盾に立っているのは、この国では三本指にも入るほどのおもちゃ会社を経営している家だ。
少し気後れしそうな気になったが、それでも自分はキラという女の子のことが知りたくて、もっと愛したくて付き合っているのだ。
「そう、やっぱり社長さんの家は大変なんだねえ。」
「かくいうアスランのお父様も国家に身を置いているんでしょう?忙しそうだもんね。」
「まあ、それなりにはね。」
やはりそうなのかなとキラがつぶやく頃には、ヤマト邸の玄関前まで、車が着いた。
「今日はどうもありがとうございました。楽しかったよ、アスラン。」
やはり礼はきちんと言うよう、躾けられているのが、こういうところで発揮されるのだなあと妙な、関心した気持ちになる。
「こちらこそ、色々振り回したから、今日はゆっくり休みなさい。来週の休み……キラの予定が何もないんだったら、またデートでもしようか。」
あまりに嬉しそうなキラの顔に、ひとつの提案を出すと、さらに顔をほころばせた。
「わあ、嬉しい……。」
「じゃあ、それについては、またメールでも学校でも喋るとして。もう冷えるから、家の中に入りなさい。今日はありがとう。おやすみ、キラ。」
いつまでも、車から出たまま、外の空気に晒すのはかわいそうだ。
日中は暖かかったが、やはり夜になると冷えてくる。
「うん、またメールするね。おやすみなさい。」
ぺこんとお辞儀をして、キラは自宅のエントランスに暗証番号を入力し、暫くして開いた扉の中に体を滑り込ました。
エントランスから、家の扉までの階段を上り、程なくして扉に手をかけ、そこにキラの体が消えてしまうまで、アスランはしっかりと見守った後、彼女が見えなくなったことを確認してから、車はヤマト邸から遠ざかっていった。
ヤマト邸からの帰りがけ、大通りに信号に引っかかっていたところに、携帯電話の着信音が鳴った。
「はい、もしもし。」
『こんばんは、ラクス・クラインですけれど。』
もしや、と思ったが、予想を裏切り、その声はいとこのラクスのものだった。
「ああ、どうしたんですか。」
『ああって、その言い方、まるで、私ではご不満のようなお声ですわ。』
確かにラクスの言うとおりだ。
だって、キラだと思って期待したらば、それは違う女性のものだったと知れば、落胆するのも仕方のないことだろう。
「まあ、な。ところで、何か?」
『ええ、アスランとお話したいことがあるんです。』
「わざわざ?別に職場でも話せるじゃないですか?」
ラクスもアスランと同じくパキラ学園のハイスクールの保健医として、勤めている。
何をわざわざこんな休日に話すことがあるのかと、言い返すとラクスは、まあと大仰に言った。
『私だって、別に休日にまで貴方に会いたいとは思いませんわ。けれど、学校ではお話しにくいので、あなたの家にでも、これからお話に行こうと思うのですけれど。』
そこまで言われてアスランは、ラクスの言う、話の思い当たるところを思いつき、はあと息を吐いた。
今回のこの件について、未だ誰にも話した記憶はないのだが、一体彼女はどこでこういう情報を仕入れてくるのだろうか。
顔はそこそこ、というよりもかなり整っていて、その笑ったかおなどまるで天使のようだが、その内面は裏腹悪魔にも似た部分があるのを、アスランは長年の付き合いで思い知ってきた。
職場の人間が稀に、ラクスのことを話しているのを聞くと、いつも良い様に捉えられているようだが、それは見せかけだから、そういう考えは止めたほうがいいと、何度思ったか知れない。
しかし、このことを職場で言おうものならば、きっとこの事でも情報を仕入れて、挙句には『一体どういうことですの』と、半ば脅しのような電話が掛かってくることは必須であろう。
「分かりました……。今どこに居るんです?丁度車を出しているので、場所を教えてもらえれば、そこに車を回しますけど。」
『あら、ありがとうございます。丁度今、自宅におりますの』
「……。」
案に迎えに来い、ということなのだろうか。
わざわざ自分なんかを呼ばなくとも、家にお付きの運転手くらい居るだろうに。
何を好き好んで、と思わなくもなかったが、ここで拒否をしたところで受け入れてもらえないのだろうから、と思いなおし、ラクスへの家へと車を進めた。
「わざわざ車を回していただき、ありがとうございます。」
「ああ。」
「やはり、このシートのすわり心地はいいですわね。限定車だけに、よく出来ていると思いますわ。」
「あれ、ラクスの家はこの車を購入しなかったのですか?」
「ええ、丁度その少し前に買い換えたばかりだったとのことらしく、さすがに乗り換える気にはならなかったそうです。あちらの車よりも、私はこちらの方が好きなのですけれど。」
要は、この車を乗りたいがために自分を呼んだのだろうか。
今日のデートのことも知っていて、丁度自分がひとりで車に乗っているのを狙って電話を掛けてきたのではないか、とそんな考えまで浮かんでしまうのだから、彼女は本当に恐ろしい。
「そういえば、未だ叔父様とは仲違いのままですの?」
「ええ、別に連絡を取らないと困るようなことはないので。」
「まあ、酷い言い様ですわね、自分のお父上に向かって。」
母親が幼い頃に亡き人となったラクスにとって、父親は唯一の血の繋がった人間であり、自分を大切に育ててきてくれた大事な父親と想っている。
父親への念はひとより強く、それ故、アスランが父親を大事にしない様を見て詰った言い方をするのも致し方ないようにも思う。
「シーゲルさまはラクスにとって良い父親だと思いますが、俺の父はそうじゃないので、そういう尊敬や孝行といった気持ちは殆ど浮かんでこないんですね、生憎と。」
もしも、自分の父親がシーゲルのようであったらば、自分もそれなりに父親への敬意と尊敬の念と、孝行の気持ちを忘れなかったのかもしれないが、パトリックを見て、そういう念は一切浮かばない。
だからといって、もしも、などと仮想的なことを考えたところで、それは仮想世界に過ぎず、現実ではないのだから、深くそうやって考えることもないが。
「まあ、それはそうとして、また別の機会にお話しましょう。今日、お話したかったのは、そういうことではないのです。あなた、パキラの生徒と付き合っているらしいですけれど。」
「ええ、そうですが。」
ここで、違うと否定したところで、きっと意味のない行為に終わるだろう。
「どういうことなのですか?今までのように、気にいらなかったら捨てる、という相手ではないのですよ。」
「それは、ヤマト財閥でありながらも、会社を経営する娘だから?」
「……あら、アスランにしては、良くご存知ですわね。分かっていて付き合っているのですか?」
「まさか。今回は今までとは違いますよ。なんたって、俺の方から、好きだと告げたので。」
言いおわると、その時に携帯電話が鳴った。
どうやらメールが届いたようだ。
ちらりと目をやると、送り主はキラのようである。
「頬の筋肉が緩んでますよ、アスラン。」
「!?」
まさかと思い、ラクスを見ると、彼女は薄っすらと笑っていた。
「あら、本当に彼女からですか。」
「……ハメたんですね。」
「引っ掛かる貴方にも、注意散漫なところがあるということです。」
少し笑いながら言って、それからラクスは顔を引き締めた。
「貴方のその、彼女を想うゆえの隙が生まれないこともありません。例えば今のように。」
しかし、彼女は本当に悪魔の生まれ変わりか、と思ったが、ここで言うことでもないと、胸の中におし留めた。
「そういうことが、これから無いように、私は貴方に忠告しておきますわ。今回のことが分かったのも、貴方のそういう隙から生まれたものですのよ。」
言うと、ラクスはシートベルトを外した。
「すぐそこのデパートに用があるので、今日はここらで失礼しますわ。」
そう言って、あんぐりと口を開けたままのアスランを放って車の扉を開いた。
地面に足が着いたのが、ヒールの音がカンと響く。
自分は、一体何なのか。ラクスの足、とでも言うのか。
「では、これから十分お気をつけなさってください。では、今日はどうもありがとう。」
颯爽と車から下り、こちらを振り返らず、目的地の方へと向かっていく。
「彼女は一体何をしたかったんだ……?」
思わずと零れた言葉は、案外と車の中に響いた。
否、忠告しようという、ラクスの按配があったのは分かるのだが、あまりにも唐突な登場と去って行き方に、どうしたものかと思うが、これも彼女の優しさなのかもしれない。
しかし、彼女の言うことに間違いはないだろう。
確かに、少しばかり気の緩んでいるところがあるのかもしれない。
生徒と教師の関係など、歓迎されることなどあるわけがなく、あるのは批判と白い目だろう。
決して学校では特に注意をしなくてはならない、という思いを抱きつつ、届いたキラからのメールを見るべく、アスランは携帯を取り出した。