3章 熟れた果実 3
旅行日当日。
天気のほうは問題なく、晴れている、と思っていたのだが、どうやら曇天空である。
ねずみ色ではないことが不幸中の幸いというべきなのか。
太陽は顔を見せていなかったが、雨は降りそうにない。
二泊三日分の荷物―――それは主に衣服のほうであるが―――をもう一度点検し、常備薬や洗面具等の、必要なものが入っているか、再度確認をした。
また、カメラ、財布、携帯電話が入っていることも確認する。
パジャマから、出かけるための服に着替え、軽く髪の毛に、ワックスをつける。
クラスの女の子たちはもちろん、フレイも最近肌を気にしはじめ、化粧をするようになった。
十七歳はそういう年頃なのかなと思い、フレイに相談すると、激しく反対をされた。
(キラ、化粧をしだすと、後戻りは出来ないわよ)
真剣な顔をして、話し出す彼女に、キラはすこし目を見張らした。
剣幕さ的に言えば、フレイが怒っているときのようだ。
(一度化粧しだすと、とても肌のことが気になってくるわ。これは、興味本位でし出すと、十七歳からし出すと、後々とんでもないことになるわ。)
言いながら、彼女はうんうんと頷いた。
(それに、別に好きで化粧している訳ではないのよ。気になるところがあるから、化粧はするの。でも、あんたには、そういうところはないように思うけど。)
そして、絶対に未だ化粧をするな、という言葉に、キラは素直に頷いた。
あまりの話し方に、そういうものなのか、と単純に納得してしまったのである。
それを、その日の夕食のときに、母に話すと、彼女はにっこり笑ってこう言った。
(キラはいいお友達をもったのね。)
どういう意味か、キラには分からなかったが、母はひとりで満足しているようであるのに、何も聞くことが出来なかった。
(けれど、化粧水くらいは塗らないとだめよ。ああいった下準備は、いつからしていてもいいものよ。あと、乳液もつけておきなさい。乳液もね。)
そういって、母はどこの会社がどんなものかということを、事細かに話し始めた。
自分の気に入っている会社はどこそこであるが、他のひとの意見はこうだ、とか、どこそこのものはベタつくが、肌への潤いはそれが一番なのだとか。
そこから、いろいろ考え、フレイにも相談した結果、今ある会社の化粧水を、夜にはそれプラス乳液を毎日塗っているのだ。
すきなひとには、綺麗な自分を見せたいと思うけれど、母もフレイも化粧は必要ないというから、そうなのかもしれない、とキラは納得している。
それを、肌へと載せたあと、忘れずに、キャリーバックの小さなポケットに入れておく。
数日は戻ってこない、自分の部屋をぐるりと見回し、特に何も問題ないだろうと、キラはその扉を閉めた。
どうやら、父と母も準備が整ったらしく、最期の点検をしていた。
何の点検かと言えば、主に電気やガスの元栓といったものである。
かなりの心配症なのか、出かける度に、ガスや電気のことに気を配っている。それについて母と話したことはないけれど、それはキラから見て異常とも思えることがあった。
「ねえ、ガスの元栓を見てきて頂戴。」
「うん。」
言われた通りに確かめると、何の問題も見当たらなかった。
きっと、自分より先に、しかも何度も点検をしているのだろう。
―――大丈夫。
心の中で呟き、玄関の方に行くと、父が車に荷物を運んでいた。
今日はどうやら、お抱えの運転手ではないようだ。
「キラ、駅まで一緒に行くかい?」
そこに娘がいることを確認した、父親がキラの方を向く。
その手には、コーヒーやちょっとした茶菓子が手に握られている。
運転中に食べたりするものの用意もしているようだ。
きっと茶菓子なんかは母のためのものに違いない。
そう思えば、父と母はいつも仲良さそうである。
「ううん、ここまで向かえに来てくれるって言って貰ってるから。大丈夫。」
「そうかい、じゃあ、キラに戸締りをしてもらうことになるのかな。」
そう言って、父は母の元へと向かった。
鍵をいくつか閉めるだけなのだが、どうやら大役を買ってしまうことになったのかもしれない。
ちなみに、家への扉が2つ、それから門扉にあたる鍵が1つある。
戸締りさえも、いちいち「閉まった?」と言ってひとつひとつの確認をとるくらいの母が、この家にはいるのだ。。
今更ながら、キラはそんなことを思った。
大役を買った自分に、行動のミスがあるというのは少し恐ろしいことにように思え、戸締りは母の居るときに全て行った。
父と母は新幹線の時間があるということで、先に家を出発しなくてはならないらしい。
家の中で待つのは、最後の戸締りが面倒だから、キラはアスランの迎えが来るまで、自分の家の前で、彼の到着を待っていた。
じっと突っ立っていながら、キラの頭はこれからの旅行で頭がいっぱいだった。
これから過ごす三日間で、自分が相手に迷惑をかけることがないように、とそれだけを願いながら、しかし、やはり楽しみだと立つ気の方が強く、想像するだけで、とても楽しい気持ちになる。
と、そうこう考えているうちに、自宅の前に一台の車が止まった。
後部座席の扉から出てきたのはアスランだった。
いつもの黒塗りのアスランの乗っているものではなく、黒塗りには違いないが、その車のボディには個人タクシーと印刷されいた。
「お待たせ。家の中で待っていてくれたらよかったのに。」
「ううん。戸締りを母さんと一緒に済ませたかったから、外で待ってたんだ。今思ったんだけど、外でひとりで待ってるのって、まるで家を追い出された小さなこどもみたい。」
そういってキラは笑う。アスランも笑った。
「でも、キラを見て、誰もそんな風に思わないさ。」
そう言って、アスランはタクシーの中に乗り込むように、キラに促した。
そうして、自分はタクシーのトランクの中にキラのキャリーを入れた。
「今回は、飛行場まではタクシーを使うから、俺は楽をさせて貰ってる。帰りのことを考えたら、タクシーのほうが楽だろうからね。」
疲れた体で、飛行場から自宅までの距離は、事故を考えた上で避けたいからというアスランの言葉に、キラは両親のことを思った。
「そういえば、母さんたちは家の車を乗って行ったよ。新幹線の時間があるって言ってた。」
「ああ、それならきっとお抱えの運転手さんが取りに行くんじゃないかな。」
そう言って、アスランは、国際空港までお願いします、とタクシーの運転手に言ったあと、キラとのとりとめもない話に華を咲かせた。
飛行機に乗ること、約四時間ほどである。
いいところの娘なのだから、飛行機などの心配はないと思っていたのだが。
「僕、飛行機って苦手……。」
しかも搭乗機に乗ってからそういうことを言うのだから、アスランは思わず大きな声を出しそうになるのを、止めた。
「大丈夫なのか?……もっと早くに言ってくれれば新幹線にも変えたのに。」
「ううん、嫌いじゃないから大丈夫。あの、離陸する瞬間が何となく苦手なんだ。」
指定された座席を見つけ、その上に手荷物を入れてしまう。
席は窓がわの二席である。
キラを先に窓側に座らせ、通路側にアスランが座った。
「しかも、旅行で殆ど飛行機を使ってきたから、大丈夫。」
そう言って、キラは笑って見せたが、それは弱弱しいものに見えた。
「ごめんな、もっと気を使えばよかった。」
「アスランは悪くないよ。……旅行が楽しみだったから、あんまり飛行機のことは考えないようにしていたし。」
程なくして、出発らしい。
アナウンスと共にスチュワーデスが各座席の確認に歩き回る。
それと共に、前のほうにある大きなスクリーンでも、映像が流れ出した。
確認と一緒に尋ねられたブランケットを受け取り、キラへと渡す。
「ありがとう。」
といいながら、彼女は膝に掛けた。
途端に、座席ががたがたと揺れだす。
どうやら、滑走路を走ろうとしているようだ。
そろそろ離陸の準備が始まる。
「ねえ、キラ。」
そういって、ブランケットの上に置かれていたキラの手をアスランはとった。
そうして、ぎゅっと握る。
「これで、少しくらい気休めにならないかな。」
何をしてやることも出来ないけれど、こんなことくらいしか出来ないけれど。
「ううん、嬉しい。ありがとう。」
そう言って、キラもその手を握り返す。
ふたりは、笑ってその顔を見合わせた。
車であっても、そう自分たちのすむ町から離れた場所に行くことは、そう簡単ではなく、やはり人目が気になってしまうために、恋人同士がするうちのひとつ、手を繋ぐという行為は程遠いものであった。
しかし、これから住む町から離れる、ということが、こころを広くしているのかもしれない。
そう目立ったことは出来ないけれど、恋人同士が何の気兼ねなくする、手を繋ぐという行為をひとつ、キラにすることが出来て、少しアスランの気持ちは嬉しくなった。
都内の方では、曇天空であったが、旅先の天気は、そちらも曇天と言っていた天気予報を裏切り、快晴だった。
飛行場を出た後、一端旅館の方へ行き、大きな荷物だけを預かってもらい、ふたりは観光に出た。
旅館周辺は別の日にし、公共機関を利用し、少し離れたところにある、博物館や世界遺産に登録されている、有名なお堂を見て回る。
そして、また世界的に有名な踊り場のある、寺にも足を伸ばした。
人目を気にせず歩くことの出来る二人が、終始手を繋いでいたのを知っているのは、当の二人だけであるのは、ここだけの話でもある。