愛しさの対象、それは俺の彼女。

3章 熟れた果実  7





楽しみにしていた旅行も、残りの家までの帰路を残すのみとなった。
お世話になった旅館の女将に挨拶を済ませ、おみやげを必要な分だけ買った二人は空港へと向かった。
あれほど、色々とパンフレットやガイドマップを広げていたというのに、その楽しい時間はあっと過ぎてしまう。
どうして、すきなひとと過ごす時間は短いのだろうか、と意味のないことをキラは考えた。
返ることのない、旅行を楽しみにしていた、あの時間。
しかし、今のキラには、何よりもしあわせの約束が形になった、キラリと光るダイアモンドが、心臓になにより近い指とされるそこに、きれいに佇んでいる。
その重みも何だか嬉しくて、キラはふらりと笑う。
「どうしたんだ?」
しかめっ面になったり、突然笑ったり、ところころと表情の変わるキラに、アスランは尋ねる。
「ううん、なんでもないよ。だた、しあわせだなあって思ってね。」
過ぎていく、タクシーの窓から見えるその景色を、きっと忘れることはないだろうと思う。
はじめての、すきなひととの旅行先。
今はとても寂しいけれど、いつかきっと再び、アスランと訪れる機会もあるだろう。
「そう、なら良かった。キラが幸せだと、俺も幸せだ。」
そう言って、キラの手のひらに触れてくる。
「そう、この指輪ってずっと付けててもいいのかな。」
学校、ということばは敢えて隠し、ずっとという言葉を強調する。
きっと聞かぬふりをしてくれているだろう、運転手であるけれど、やはり大きな顔をして話せないことは、伏せた方がいい。
また、彼らの運転手仲間の中での話しのネタにもされたくはない。
「別に悪いことではないからね……ただ、運動のときにはネックレスにした方がいいだろう。」
運動とは、これまた体育のことだろう。
ふたりで、暗号みたいなやりとりをしているみたいようで、なんだかとても楽しくて、キラは無邪気に笑った。



しあわせだった。
ただ、しあわせだった。
いっしょに同じ時間を過ごして、とりとめもないことを話して、笑って、その肌に触れているだけでしあわせだった。
それだけなのに、どうして、ひとはしあわせで居続けることが出来ないのだろう。
それは、しあわせでないことを感じ、体験することによって、さらに幸福感が増すから、なのだろうか。
それが、ひとに定められた、生きるということなのだろうか。
どうして、しあわせを、神は、この世界は奪っていくのだろう。
ずっといっしょに、その時間を共有したいだけなのに。
ただ、笑って、とりとめのないことを話して、しあわせだと思うことが、罪だというのですか。



飛行機で都内まで飛び、そして自宅までアスランとタクシーに乗り込むと、とうとうこの旅行も終わりなのだなと、そう深く感じさせられる。
すこし寂しくて、タクシーの中で、キラはずっとアスランの手を繋いでいた。
このぬくもりをしばらく忘れないでいられるように、と。
終わってしまった旅行の寂しさと、三日間も一緒に過ごした後のひとり寝は寂しいなあという思いが交錯して、家までの道のりはあまり話しが弾まず、どうしても俯きがちになってしまった。
それが疲れたように、アスランに写ったのか、はたまた寂しそうに見えたのかは分からないけれど、大きなその手はキラのさらさらとした髪をだたゆっくりと撫でていた。

どれほど家に帰りたくないと思っても、いつかはその瞬間はやってくる。
見慣れた景色が目の前に広がり、そしてあっという間に門扉の前で車は止まった。
両親は未だ旅行中のはずで、家には明かりひとつともされず、暗闇が佇んでいる。
しかし、ここで帰りたくないと駄々を捏ねるのはやはり駄目なのだと思い、キラは思い切って、その扉に手をかけた。
「三日間ありがとう、アスラン。」
「ああ、またいつか旅行しような。」
「うん。あと、あの……指輪も、ありがとう。」
言葉にするのは未だ照れくさくて、視線を泳がせると、アスランは大人の顔をして笑った。
「じゃあ、またメールするね。」
だらだらとすると別れがたくなるし、待たせるタクシーにも申し訳ない。
思い切って、扉を開けようとして、そういや鍵が掛かっているのだなと思い出した。
しかし。
玄関の戸締りは母と一緒に行ったために、その扉を閉じたのは母であり、またその鍵は彼女のものを使用した。
自分のものを使っていたなら、鍵を持って出ただろうが、旅行にこころが浮かれたいたあの時、自分の方が両親より先に帰ってくるという意識がかなり低かったキラの家の鍵は自室の引き出しの中に。
それはつまり、家の中に入れないということで。
派遣会社に家政婦を頼んでるかも、と思いなおしたが、確かキラが旅行に行くなら、それはやめておくわ、と母が言っていたような気がする。
どうしようもなくて、母に電話をしようと携帯電話を発信したが、どういう訳か圏外か電源が入っていないらしい。
父にも電話をしたが、同じようなアナウンスが流れてくるだけだった。
いつものように、キラが家の中に入ったことをしっかり確認してから、車を走らせるアスランは、今日もちゃんとそれを確認すべく待っていたのだが、その顔は不思議そうな顔をしていた。
「キラ、どうかしたのか……?」
尋ねるアスランの顔に、キラは縋る視線を向けた。
「家の中に入れないみたい……。」


結局、家の中に入ることが出来ないキラは、両親が帰ってくるまで、アスランの家に泊まることになった。
「本当にごめんなさい……。」
うっかりしていた自分が情けなく、しかし、あんなにも楽しかった、時間に囚われずアスランと時間を過ごすことは、しばらく難しいと思っていたのに、それがまた少し、一緒に居る時間が増えて嬉しいと思う。
「仕方ないよ。」
そう言って、アスランは何でもないことのように笑う。
そして、そっとキラの耳元で囁く。
「俺は、キラと一緒に過ごす時間が増えて嬉しいけど。」
掠れた声が官能的に聞こえるのは、恋人の欲目なのだろうか。
自分と同じことを、アスランも思ってくれているのだと思うと、嬉しくて。
この、かたく握られたおおきくて、やさしい手のひらをずっと離さずにいようと、キラはひっそりと思うのだった。




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