4章 芳しい香りを放つ華 前編
両親と連絡を取ることが出来たのが、旅行から帰ってきてから―――つまりアスランの家に泊まって―――3日ほど経った頃だった。
(母さんたち、どこに居るの?)
(そりゃ旅行に決まってるじゃない。……ああ、そう、伝え忘れていたのかしら。近場のはずだったんだけど、どうせならもう少し色々と見て回りたくなったのよ。)
(もしかして……今国外だったりするの……?)
圏外だった理由としては、それくらいしか思いつかなくて。
(もしかしなくても、国外に居たわ。今は丁度国内に入ったところなんだけど。)
普段よりも穏やかに話す母は、相当旅を楽しんでいるらしい。
父とふたりの旅行も楽しんでいるのであろう。
(いつ戻ってくるの……あのさ、僕今家に入れないんだ。)
(で、誰のお家にお世話になっているの?)
しかし、いつもの話し方のキレは普段と変わらない。
(あ、あの……彼氏の、家に。)
(そう。キラは鍵を持って出なかったの?)
案外と、母はとりわけそれを追求する様子ではなかったことに、キラは少し安堵しつつ、しかし、何も言わない母とういうのも、少しばかり末恐ろしいと思う。
(だって、母さんの鍵で最後家を閉めだでしょう?それで、うっかり……それに母さんも三泊って言っていたから。)
言い訳がましいとは思うけれど、やはりハイスクールに通う身としては、あまりひとに言いふらせないようなことをしている自覚はあり、それを隠したいと思うこころがある。
教師と生徒は、きっと歓迎されないだろうから。
(そうねえ……確かそうだったわ。ただ、どうせならもうあと少しこっちで過ごしたいのよ。キラの方はどう?未だそこにお世話になることは出来るの?)
尋ねられ、隣に座るアスランの方に向き直ると、アスランは電話には拾えないような小さな声で、答える。
「大丈夫。」
ありがとう、と返事をしてから、キラは電話に向き直った。
(うん、まだ大丈夫みたい。)
(じゃあ、ごめんだけど、未だそちらでお世話になっていてね。そっちに帰る目処が立ったら連絡するわ。)
(うん)
そうして、母の話は終わると思ったけれど。
付け加えられた言葉に、キラは固唾を呑んだ。
(ちゃんと教えてね。)
それは、何、とは言わなかったけれど、何を指しているのかはキラには十分分かるもので。
やはり、いつかは話さないといけないときが来るのだと、逃げられない現実に、キラは前を見据えたのだった。
内容はアスランにも聞こえているのだろう、少し黙っていたけれど、それは苦しい表情ではなかった。
彼はキラの手をとり、そのリングの嵌った指に、キスを落とした。
「大丈夫。きっと大丈夫だから。ね、キラ。」
そういって、握った手をぎゅっと固く結んだ。
こういう訳で、どうやらキラは年越しもアスランのマンションで過ごすことになったのだった。
アスランの家に泊まることに関しては、別に何の問題もないように見えたが、ハイスクールに通う身としは、非常に大変な問題があった。
それは、宿題だ。
まさか、旅行後は家に戻るのだと考えていたキラは、提出する必要のある宿題を全て家の自室においてきた。
まさか、こんなに長い期間家に帰れないとは予想もしていなかったのだ。
しかし、このままでは家に帰ってからの宿題が大変だと見越し、キラはフレイに連絡をした。
「あの、宿題のことなんだけど……。」
「まさか、宿題のことで、あんたから連絡が来るとは思っていなかったから、まさかと思ったけど。」
そう言って、フレイはチーズケーキを頬張る。
宿題の範囲になっているテキストのコピーをするべく、電話の後、早速会うことになった。
用事はコピーだけで十分であったが、積もる話もあるのか、フレイはキラを誘ってコーヒーショップに入ろうと、彼女を誘ったのである。
しかし、コーヒーだけを飲むのかと思いきや、期間限定のチーズケーキを注文したから、どうやら目当てのケーキも食べるという目論見が、フレイにはあったらしい。
「まさかよねえ……。」
そう言って、視線を遠くの方へ向けるフレイに、キラは何を言いたいのか分からなかった。
「まさかって?」
「そりゃ、あんたみたいな晩生の人間が、早速カレシの家にお泊りしてることよ。」
あんなにもかわいい女の子だったのになあと、遠くを懐かしむフレイであるが、アスランへの告白を後押ししたのは、まぎれもなくフレイである。
そんな風に思われているとは思っていなかったが、しかし自分もまさか、こんなにもはやい段階でアスランの家に泊まることになるとは思いもしなかった。
「でも、仕方ないと思うんだけど。」
どう答えたらいいのか、分からず、ぷうと膨れてキラは答えた。
「そうねえ、不可抗力って言葉があるんだもんねえ。」
そう言ってフレイはフォークをチーズケーキに刺そうとして、その手を止めた。
フォークではない、他のものがキラリと光ったのを、フレイは見つけた。
目ざといフレイはそれを身のがさない。
「キラ、それカレシから?」
フレイの指先には、アスランからもらった指輪が指されている。
左手の薬指であるから、言わずもかなと言うものであるが、しかしフレイは目を剥きたくなるような現実に、頭がくらりとなる。
「う、うん……似合ってるかな。」
年齢とは不釣合いのように見えてしまう、光るダイアモンドは、まだキラの指に馴染んでくれない。
しかし、その細い指には、しっかりとそれが嵌められていた。
「勿論よ。それより・・・…あんたのカレシは相当キラに入れ込んでいるのかしら…・・・。」
最後には独白のような台詞にも近い言葉をフレイは吐く。
食べたチーズケーキは噂通りとても美味しかったが、それを何十倍も越える、おいしいというより気持ち悪くなるような甘さに、フレイは目を閉じた。
「その指輪、30万はくだらないわよ。」
そして、フレイは深く息を吐いた。
これは、本当に彼女に変な虫を寄せ付けないようにするための、ひとつの防衛策なのだろうか。
しかし、エンゲージリングなどに疎い人間には通用しないであろう。
だが、そういうものに通達した人間であれば、きっと近寄りがたくなるのだろう。
そのキラへの深い何かを見てしまったフレイは、苦いものをアスランに覚えたのだった。
「え、この指輪……へ、さんじゅう、万……。」
一方、フレイの発言に、まさかそんなにも値の張るものだと考えもしなかったキラは、あまりの指輪の高価さに、驚きを隠せなかった。
確かに、とてもラインが綺麗で、しかもとても指にフィットするのだ。
散りばめられたダイアモンドはそこそこ大きく、指輪などの装飾品にあまり興味を持たないキラには、まさかそんな高価なものだとは思わなかったけれど。
「こ、こ、こんなの、つけてられない、よ!」
もしも失くしたりしてしまったら、もうアスランに顔向け出来ない。
そう思って、貰ってから一時も外さなかった指輪をキラは外そうとする。
それを、フレイがやんわりと止めた。
「やめておいた方がいいわ。きっと、カレシはキラに身に付けてもらいたいからプレゼントしたのよ。」
そして、コーヒーを一口飲んだ。
ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーは、今のフレイには酷く甘いものに思えて仕方がなかった。
普段は、こんなコーヒーは未だ苦いと思うのだけれど。
「そう、かな。」
「そうよ。だって、自分が身に付けて欲しいと思ってプレゼントしたものはやっぱり、身に付けておいて欲しいでしょ?それと同じ。」
立場を自分と置き換えてみるのよ、と言うと、キラは納得したようだ。
指輪は外されず、キラの指におさまった。
「けど、なんか本当に申し訳ないっていうか……。だって、僕何もプレゼント用意してなかったし。」
「じゃあ、今から買いにいく?」