愛しさの対象、それは俺の彼女。

第5章 Be painful now , but tomorrow surely...... 12





フレイからの喝が入ってから、キラは以前に比べて精力的になった。
ごはんを食べることを拒絶することも無くなった。といっても、身体が受け付けずにもどすこともあるが、一通り胃に入れることは出来るようになった。
未だに外に出ることは出来ないようだったが、それでもラクスの家の中を歩き回るようになっている。
学校は未だ休学扱いであるが、勉強も遅れを取らないよう、自主的に進めているようだ。
免疫力も未だ下がっているから、と体調にひどく気を使われることが殆どだ。
顔色は、以前のような青いものではなく、以前の、とは言いがたいが白い頬に戻りつつある。
こけていた顔にも、適度に戻りつつあるらしく、以前のような線を取り戻しつつある。
それは、献身的な看病を施してきたラクスと、親友のフレイと、キラをあたたかい目で見守るキラの母のお陰でもあるのだろう。
そして、キラのこころの中に生きる、アスランの記憶らしかった。
思い出の中に生きているわけではないだろう。
しかし、プレゼントで貰ったというキーリングと、そこに嵌められた自分の家ではない鍵を、キラはいつも持ち歩いている。
時折、それを取り出して手の中で遊ばせていたり、じっと見つめたりしているのを、フレイは何度と無く見てきた。
鍵とキーリングを大切にするキラを、フレイはいつも声をかけることが出来ないでいる。
それは、アスランに「ちゃんとキラを振れ」といった身であるために、キラに対して後ろ暗い気持ちがあることと、またそれを大事にするキラの表情があまりにも痛々しく、見ていることが出来ないから。
その表情は、ひどくやさしく、穏やかなもので、フレイはその表情を滅多と見たことがなかった。



その週末は、家主であるラクスは出張のために家を空けていた。
毎日のようにフレイは、キラの様子を見にやって来ていたが、その日は用事があるために、いつもよりはやい時間に切り上げないといけないらしかった。
「キラ、分かってる?ちゃんと晩御飯、食べて、ベッドの中で寝るのよ?」
ミュールに足を入れるフレイを、キラは玄関前まで見送るのが、習慣だ。
やはり、フレイはひどく心配らしく、何度も念押しするように、確認をしてくる。
「分かってる。大丈夫だよ、フレイ。」
ふわりとした、ワンピースを着たキラは素足で、フローリングの上を歩く。
その、着ている服の所為もあるのだろう、フレイには、キラはどこかに飛んでいってしまいそうな、そんな風に見えた。
「でも心配なの、何かあったら、携帯にでも連絡しなさいよ。」
「うんっ。」
じゃあね、というフレイを見送ってから、キラはリビングへと戻った。
特にそこで何かをするというわけではないのだが、ここにはなにか深いものがキラには詰まっている。
何故か、かなしい気持ちが溢れてくるけれど、ここはひどくあたたかいのだ。
まだからだはだるいから、いつもここで身体を横たえるのだが、そうするとふわふわとした気持ちになってくるのだ。
だから、と思って横たわろうとすると、そこにインターホンが鳴った。
ぺたぺたと床を歩き、客の応答のために玄関の方へと向かう。
もしかしたら、フレイが忘れ物を取りに来たのかもしれない。
最近、知らぬひとがここに訪れることなどなかったから、今日も誰かがやってきたように、キラには思えなかった。
「はい、どちらさま……。」
玄関には、何度も思い返した恋人が、立っていた。



「こんに、ちは……。」
何度も胸の中で思い返したひとは、その思い出と少しも変わらないように見えた。
ストライプ柄のカッターに、黒いパンツを履いた彼は、初めてデートをしたときの格好に似ているような気がする。
夏はずっと室内で過ごしていたのか、肌の色は以前とちっとも変わっていないようだ。
自分を愛してくれたひと。
そして、突然自分から離れていったひと。
自分を、捨てたひと。
それは、キラの中に大きな傷跡を残していった。
抉って、血がだらだらと流れて、だけれどまわりのひと達に助けられて、その傷はもう塞がったけれど。
今でも、それはひどく息苦しいことだった。
けれど、彼を愛したことに公開しているわけでもなかった。
大好きだった。
それは、今も変わらないことだけれど。
応接間に通して、冷蔵庫に入れているジャスミンティをグラスに入れて、運ぶ。
足ががくがくした。
今まで数ヶ月会わなかったのに、今日突然自分の元に訪れたのは、どういう理由なのだろうか。
考えて、しかし彼の表情を見る限り、明るいものでも何でもなく、それはひどく暗かった。
「元気に、していたのか……?」
ぎこちない、彼の声が、それだけ空いた期間を教えているようだった。
そして、彼の苦いものを。
「いまは、元気だよ。」
笑って答えた。
涙が零れそうだったけれど、それは、胸の奥に仕舞いこむ。
今は泣いちゃいけないから。
「そう、……。」
きっとアスランの頭の中では、色々なことがぐるぐるしているのだろう。
言おうとして、彼のその口が何度も塞がるのを、キラは目で追い続ける。
「突然、どうしたの?」
きっと、言わなきゃいけないのだ。
彼は後悔している。
自分に笑いかけて、しあわせをくれて、ふたりで笑ったことを。
付き合ったことを。
「あの、ちゃんと言えなかったけれど。……別れようか。」
ほら、きた。
「うん。」
きっと、このことばが、自分に降ってくるんだと、どこかで知っていたから、受け入れることばは、口からすんなりとこぼれた。
それから、涙も。
とても、彼の顔を見ることは出来なくて、俯く。
今の自分は、すごくヘンテコな顔をしているに違いない。
涙が出て、それでひどく悲しいのに、顔はきっと悲しみに歪んだものじゃない。
別れる、ということばが無かったから、いろんなことばで自分を納得させることが出来た。
今はただ、彼は忙しいだけで、きっと自分を抱きしめてくれるのだ、とか。
自分が外に出れないから、彼に会いに行けないだけだと。
そう自分に嘘を付くことができたけれど、もう今日が来たから無理だ。
突きつけられたことばを、聞いて、そして頷いてしまった。
明日からは、自分にどう嘘をつこうか。
ぐるぐると色々考えてから、袖で涙を拭う。
「今まで、ありがとう。すごくしあわせだったよ。」
それから、もう一度笑え、とこころの中で自分に命じると、顔はすんなりと笑顔に変えられた。
彼は、ひどく痛々しい顔をしている。
どうして、そんなに悲しそうなのだろう。
もう、自分から離れられるのに。
こんな、にんげんから離れられるのに。
考えて、そういえば、彼の家の鍵を自分は受け取ったままなのだと、気付く。
それから、彼の家のエントランスを開ける暗証番号さえも知っている。
ポケットから、ふたつ付いていただけのキーリングから、自分の家のものでは無い方を取って、ふたりの間に置かれたガラステーブルの上に置いた。
「鍵、どうもありがとう。あの、えっと、暗証番号はちゃんと忘れるから……あ、これも返した方が良かったかな。」
残った自宅の鍵をぶらさげていたキーリングをキラは、その手で外す。
会えない間は、これだけが、こころを支えてた。
いつのまにか無くなっていた指輪は、どうなったのか分からないけれど、貰ったキーリングを肌身離さず持っていた。
それから、静かにそのキーリングをアスランの手元へと置く。
自分の中に残るのは、きっと彼とのやさしい記憶と、幸せだったころのあたたかいもので。
これだけは、自分の中に残しておきたい。
それくらいは、許されるのだろうか。
「あの、指輪も返した方がいいんだと思うんだけど、僕もう指輪は無いんだ。取られちゃったから。だから、ごめんなさい。大丈夫、きっとア、あなたとのことは誰にも話さないし……あの忘れる、ように努力する。」
彼の瞳は、ますますひどく暗くなるばかりで、キラにはもうどうしたらいいのか分からなかった。
自分さえ、居なくなったらきっと彼は、もう大丈夫だと。
彼が幸せになれるというなら、自分の記憶さえも投げ出してもいいと思った。
誰にも、誰にも取られたくないと思っていたけれど、彼のためにならば、差し出すことが出来た。
それなのに、彼はちっとも明るくならない。
「ごめんなさい、もう喋らない方がいいね……ごめんなさい。」
こんな僕が、一年間も彼を離さなくて、ごめんなさい。
こんな僕を愛させてしまって、ごめんなさい。
想いを告げて、ごめんなさい。
自分が、あのとき何も言わないで、彼にプレゼントなど持っていかなければ、こんなに苦しい思いをさせることも無かった。
そっと、影から見つめて、彼が笑っているのを見ることが出来たらよかったのだ。
そこに、自分が写っていなくても、彼が幸せそうだったら、良かった。
「ごめ、なさい……。」
頑張って笑ったのに、その顔はあっという間に剥がれ落ちていった。
どうしたらいいのか、分からなくて、ただ涙ばかりが溢れる。
「本当に、ごめんなさい……。」
彼の顔すらも見られなくて、キラはとうとう頭を下げてしまった。




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