第5章 Be painful now , but tomorrow surely...... 17
「だけど、……もしも感染していたら、やっぱりキラはそんな風に、自分を誰よりも傷つけてしまうだろう。それが、何より辛いよ。」
「……。」
「それでなくても、俺はキラを傷つけてしまったから……俺はもうきみのことを苦しめたくない。出来る限りにね。」
それから、アスランは握った彼女の手を恭しく口付けた。
「俺はキラが何でも構わないし、気にならない。過去に何があったって、今がどうであっても、キラはキラだろう。優しいこころを持った、それでいて自分を責めることを厭わないキラには、変わりない。それに、時間や手間もかかるけど、誰もキラが思う、感染を出来る限り防ぐ方法だって、あるんだ。……ね、キラが悩むことは何もないよ。俺は、キラがキラなら、それでいいんだ。」
「……っ、本当に、アスラン、はいいの……?」
嗚咽に絡まった声は、ひどく切れ切れとしていて、そしてとても遠慮をしているような、かわいそうなくらいに小さな声だった。
「僕は……アスランを、苦しめたくない、よ……だから、……嫌なら、嫌だって言ってね……。」
ぐすぐすと鼻を啜りながらであるが、それを伝えたキラは再び涙を流し始めた。
大きな涙つぶが、彼女の瞳からどんどんと沸きあがって、そして、頬を伝う。
それが、あまりにも痛ましく、そして愛しいと思った。
「キラ、……俺は良いって言ってるだろう。俺は、キラと一緒に居たい。それから、嬉しいことも、悲しいことも、幸せなことも、苦しいことも、全部キラと味わいたい。キラのこころが少しでも軽くなって欲しい。俺は、キラにひとりだけで悩んで欲しくないよ。」
それから、アスランはキラの握った手を、もう一度強く握る。
きっと、もう離さないと、誓いさえも込めて。
「だから、キラ、泣き止んで。俺はキラに出来るだけ苦しんで欲しくない。しかも、俺のことでだなんて、もう悩んで欲しくない。キラさえ良ければ、俺はキラの手伝いをしたいよ……一番の傍で。」
言うと、彼女は大きく目を見開いて、そして、瞳に溜まった涙を、アスランの手と握られてない方で、拭った。
それから、俯けていた顔を彼の方へと向ける。
「僕も……僕だって、アスランとずっと、一緒に居たい。許される、なら、アスランと一緒、がいい……。」
一生けんめい言っているのが、その声からありありと伝わってくる。
握り拳をつくり、何かに、きっと零れる涙に耐える彼女の姿が美しく、そして凛々しくも見えた。
「じゃあ、もう二度とキラの手を離さないと誓う。……と言っても、前と同じことを言ってるから、少し信憑性に欠けるのかもしれないが・・・…。」
以前にも似たことを言った後に、キラから離れてしまった、彼女との空白の数ヶ月は、少ながらずともアスランには後ろめたさがあった。
しかし、もうきっと、二度とあんなことはないようにと、自分にも誓いたいと、アスランは深く思う。
傷ついた彼女は、本当に言葉にも出来ないくらいに、色が乾いていた。
あれ程にも、あたたかく胸に抱きしめていた華を、一瞬にして振りほどいてしまったあと、それは環境に耐えうることが出来ず、そして枯れてしまっていた。
それは、ずっと他に何らかの原因があったと、アスランは信じて疑わなかった。
悪いのは、突然に変化した、彼女の周りの環境である、と。
突然に起こった、あの忌まわしい事件が原因だと。
しかし、それは違った。
もしかしたら、多少の原因はあったのかもしれないが、多くの要因となったのは、自分だと分ったときの、あの情けなさは、言葉にするには余りにも語彙が少ないほどである。
大切に育てていた華を、突然に自分の胸の中に閉じ込め、そしてその華が気に食わないと、突然に放り出した。
あたたかったところから、一転した環境は、華には非常に過酷なものであった。
突然に胸に閉じ込めたこと、これをきっとキラに言えば、彼女は否定するだろう。
自分も嬉しかったと、きっと彼女は言うだろう。
しかし、アスランの中にはそれさえも後悔の念がある。
もう、二度と同じ繰り返しはしたくない。
二度と、自分の所為で彼女を苦しめることがないようにと、アスランは切に思う。
自分は、きっとキラを幸せにしたいと、そして同じ幸せな気持ちになりたいと。
胸に、さまざまな思いを抱いて、そして、アスランはキラの小さなからだを、柔らかく抱きしめた。
「キラがもしも、HIVに感染していたとしても、きっと俺達は幸せになろう。」
小さく囁くと、我慢できなくなったのか、顔を胸に預けたキラは再び涙を流す。
落ちて、光る滴は、何よりも美しいと、アスランは思った。
アスランの勧めで、可能性があるということは一応フレイに話した方がいいだろう、という助言を元に、キラは親友に、今自分の現状を話すことを決めた。
もしかしたら、親友を止めたいと言うかも知れない、とやはりそんな苦い未来を描いたキラがぽろりと言葉を零したが、アスランはそれを悉く否定した。
―――きっと、君の親友はそんなことをしないと思うよ。
それでもやはり不安で、もしも絶交だと言われたら、どうしようと、否定出来ない不安が胸の中に広がる。
しかし、言わなければもっと駄目なような気がして、キラは思い口を開いて、フレイにゆっくりと話した。
まだはっきりとしていないし、これから検査を受けるが、もしかすると自分がHIVに感染しているかもしれないということ。
それは、普通の生活においては、全く感染することはないと、キラは、フレイの目を見て、言った。
帰ってくる言葉が、酷く怖くて、話し終った後は、彼女の目を見ることは出来なかった。
が。降ってきたことばは、キラと突き放すものではなかった。
「あんたって、本当に馬鹿ね。何をそんなに脅えてるのよ。私はそんなことであんたの親友を止める気なんて、これっぽっちもないわよ。」
キラの態度を見て、何にそんなに悩んでいるのかは明らかだと、フレイは踏ん反り返った。
「それとも、私はそんなに安っぽい親友だと思われているのかしら。」
「……ご、ごめん…・・・。」
「それより、彼氏には話したの?大丈夫だった?」
「うん、それは全然……。」
「そう、ならよかったわ。」
それから、ガラステーブルの上に置かれた冷めた紅茶を、ごくりと飲む。
「あんなに暗い顔をしていたから、もしかしたらまた彼氏と何かあったのかと思ったわ。私の方は、そっちの方が心配だもの。」
だから、安心したわ、とフレイは言った。
「だけど、良かったわね。ちゃんと彼氏が受け止めてくれて。」
「う、……感謝、してる、よ……。」
それは、フレイに言われるまでも無く、ひどくうれしくて、幸せなことだった。
相手に嫌だと言われてしまえば、それまでだ。
そんな危うい均衡性が、HIVにあると、キラははじめて知った。
「普通は、まあどうなのかは分らないけれど、やっぱり中々そういったひとにめぐり合えるのは難しいと思うわ。学校の授業で習って、それなりに本が出版されていて、昔に比べては世間的にも知られてきたけれど、未だ未だはっきりした知識が広まっているとは思えないもの。あんたはしあわせ者よ。」
「けど、フレイも本当に、……ありがとう。」
「な、突然何よ……私はあんたのことが大切だから、そうしたいと思ったとおりにしているだけよ。」
そう言って、彼女は照れたのか、赤い顔を隠すようにそっぽを向いた。
けれど、フレイには本当に、感謝しても仕切れないと、キラは常々思っている。
きっと、彼女が自分の傍にいなかったら、もっと自分はだめな人間なままになっていたと思う。
笑えないまま、部屋の中でぼんやりすることしか出来ない、そんなふうになっていたの自分に、救いの手を差し出してくれた。
辛いことはきっと人生にあるけれど、それはきっと明日に繋がると。
痛みは少しずつ引いて、そして傷が塞がることを一番に教えてくれたのは、誰よりも何よりもフレイだった。
明るい場所まで手を引っ張って、それは強引ではあったけれど、それがなければきっと自分はアスランと再び出会うことも出来なかったろうから。
「ううん、本当に、本当にありがとう。」
「あーもう……照れるじゃない……。」
そういって、フレイはほっぺに手をあて、顔に溜まる暑さを少しでも逃がそうとした。
きっと、辛いことはこれからもあるだろうけれど、自分には沢山のひとが助けてくれている。
アスランにフレイ、ラクス、そして両親。
そのあたたかい腕の中を、僕はもう少し抱かれていたいけれど、もう直ぐ自分の力で立ち上がらないといけないと、思う。
それから、何よりも僕がすべきことは、もっと元気になった姿を、自分を助けてくれたひとたちに見せて、そして頑張って生きなくてはいけない。
こんなことを思えるだけで、周りで彼女を助けてきたひとにとって十二分にしあわせだと、キラが気付くのは、未だもう少し先の話。