第5章 Be painful now , but tomorrow surely...... 2
通勤には車を使っているが、自宅のマンションのガレージにそれを入れた後に、箱から下りると同時に自分の家を見る癖がついている。
いつものようにその窓を見上げるが、それは何の変わりも無い。
何かを求めているわけではないけれど、けれど自分が帰る家は、やはり明かりが付いているほうがいいなあと思ったりする。
しかも、その相手はたったのひとりでいいと、アスランは考えている。
あの、柔らかい笑顔を持った、せかいでいちばん愛おしいひと。
まるで何もかも包んでくれそうな、あの可愛らしい笑顔を、誰にも奪わせたくないに、触らせたくない。
見せたくない。
一生、自分の腕の中に閉じ込めていたい。
けれど、今彼女は学生で、あまつさえ自分の受け持ちの子である。
流石にこの状況で、何をどうこうすることは出来ないだろうけれど、きっといつか一緒になろうという約束はしている。
あの細い指から、贈った指輪はずっと付けられている。
それは学校も例外ではない。
そういった装飾品に関して、プラント学園では厳しい規則はなく、私学の中でも非常に校則が緩いとされている。
その中での指輪はそんなにも目立つものでもないようだが、恋をしている人間というものは、モノクロ世界に、ただひとりのカラーを持つ恋人が、目に飛び込んでくるのだ。
誤魔化すことなど、ひどく難しい世界。
その彼女を、出来るだけ故意に視界に入れないようにしてはいるが、それは中々難しい。
だからといって、それに抗わないままに居ることは、これからの学校生活が彼女にとって良いものではないのだから、気を付けなければとも思う。
ひとを愛することで、ひどく優しい気持ちと、その相手だけを見つめていたいという、酷い渇望を覚えると同時に、それを押さえなくてはならない理性が、鬩ぎあう。
それは、ひどく辛いことでもあったが、同時に、しあわせなのだなとも思うのだ。
いつもと変わりなく動くエレベーターで最上階まで昇り、鍵をさしこみ錠を解こうと思ったが、それはすでに解かれているらしい。
鍵を渡しているのは、ほんの身内だけで、他にはたいせつなキラにしか渡していない。
こんな遅い時間に、この家にいると考えるならば、キラはきっと違うだろう。
かといって、忙しいと普段から口癖のように言っている家主の家に誰がやってきているのだろうか。
しかも、外から見たときは、電気ひとつ点いていなかった。
さて一体誰がこの家に居るのだろうか。
靴を脱ぎ、まずはリビングへ向かう。
明かりをつけると、近頃滞っていた片付けを怠けた後が散っているはずのテーブルには、伏せられた茶碗や皿が並んでいる。
キッチンを見ると、最後に火を通せばいいらしいものが、IHの上に置かれていた。
そのままリビングの方へと足を向けるが、しかしそこにも人影はなく。
しかし、すうすうという寝息が聞こえてくる。
もしかしてと思い、ソファを見ると、やはり小さく背中を丸めた女の子が、無防備に寝ていた。
今日まで試験だったにも関わらず、テストが終わった後にわざわざ家に来てくれたようだ。
しかも、ざっと部屋の中を見回す限り、今日の朝まで散らかっていたものが、全て元ある場所に戻されている。
それから、ごはんまで用意をしてくれたみたいで。
「キラ……。」
思わず名前を呼ばずには居られなかった。
可愛い、可愛い、愛しい。
愛されていると思える。
嬉しい。
彼女だって疲れていただろうに、ひとの家の片づけまでしてくれて。
その寝顔も、疲労が溜まっているように見えるのは、アスランだけではないだろう。
寝ている彼女を起こすのはひどく忍びないようにも思えたが、もしかしたらご両親に連絡をしていなければ、彼らを心配させてしまうのだから、と自分を叱咤し、キラの耳元で、静かに声を掛けた。
「あ……アスラン、おかえりなさい。」
呼びかけに応えたキラは、目を擦る。
明かりが眩しくかったが、少しの瞬きの後に、ようやく目が慣れてきたのか、アスランの顔を見ることが出来た。
「ただいま。ごはんの用意をありがとう。」
「ううん。何もすること無かったし、せめてものお手伝いが、アスランの体調管理なんだけど。」
そう言うと、アスランはひどく嬉しそうな顔をする。
どうして、そんなにも嬉しそうな顔をしたのか、キラには分からなかったが、彼が喜んでくれているようで、自分も嬉しくなる。
「ありがとう。それから、片付けもありがとう。俺の家に来たんだったら、ゆっくりしてくれたらよかったのに……と言いたいところだが、あの汚さではそうも言えないな……。」
「ふふふ。けど、別にアスランの家に来たかったのも、ここの片付けをしたもの僕の勝手だから、気にしないでね。」
「俺の居るときに来れば良かったのに。」
「けど、アスランの匂いをかぎたかったし。」
そう言うと、アスランはキラの身体を抱きしめた。
「部屋で納得されたら、俺の居所がないじゃない。」
どう?とアスランは尋ねるから、キラはくすくすと笑いを漏らした。
「アスランが普段、ここで生活しているから、ここに匂いが写るんだって。……でもアスランの方がいいよ。」
「そう言ってもらわなきゃ、恋人として立つ瀬がないよ。」
言って、ふたりで笑う。
この時間がひどく幸せに思える。
とても暖かくて、優しくて、手放したくない。
失いたくない。
「ところで、キラ。お家の方には連絡済んでるの?」
「ほえ?」
連絡することなどあっただろうかと思い、外を見るとそこは闇が落ちている。
慌てて部屋に掛けてある時計に目をやると、予想外の時間を指していた。
「ううん!未だ何も!」
「じゃあ、どこに居るのかと、これから帰るということを連絡しておいで。車で送るよ。」
「うん。ごめんね、気を使わせて。それから、ありがとう。」
それから、無事に車はキラの家の前まで着き、キラが家の中に入るのを確認してから、その車を再び家へと向ける。
いつも思うのだけれど、助手席に乗っていたひとが、居なくなってしまうのはひどく淋しいなあと思う。
こんなことは、キラに言うことは出来ないけれど、毎週のデートの後にいつも思う。
付き合い始めた頃は、そんなことを思うことはなかったけれど、近頃はそれを感じる。
自分の中で、キラが助手席に乗っていることが当たり前になりつつある。
隣で笑っていてくれていることが、当たり前のように感じている。
こういうときに、思う。
きっとキラを手放すなんて出来ない。
絶対に、自分の腕の中でずっと抱きしめていたい。
彼女との約束は、あの指で光っているけれど。
もっと、彼女も安心出来る約束があればいいのに。
信号に引っ掛かり、止まった車の窓から見えるネオンを、見るともなくアスランは見た。
目まぐるしい日は、忙しいながらも確実に過ぎている。
生徒も教師も大変だったテスト期間を終え、そこで生徒たちはひと段落であるが、教師たちはそれから採点、成績表を出したり、と忙しい。
それも何とか無事に終え、終業式に生徒らに配布し、そして夏休みが始まった。
「失礼します。」
扉が開くと、そこにはよく知った顔があった。
「どうしたんです?」
「どうやら風邪みたいで、頭が痛いので薬を貰いに来たのですが。」
そういういとこの顔は、確かに冴えない色をしている。
「じゃあ、薬を用意するので、その間に体温でも測ってください。」
体温計を差し出し、やって来たアスランに、ソファに座るよう勧めてから、ラクスは鍵のついた戸棚を開けた。
「担任を持つと大変ですわね。ねえ、アスラン。」
その声は、勿論嫌味も込められているのを、アスランが知らない訳がない。
「ええ、とても楽しいですけれど。」
薬と水を差し出した後に、ラクスは椅子へと座る。
「あんなにもいつも断っていた担任を持つなんて、一体どういうことかと思ったんですけれど。……男ってゲンキンな生き物ですわね。」
幾分呆れたような声音は、アスランのことを何もかも見透かしているらしい。
「まあ、それについては、気を緩めないように気をつけてくださいね。……とは言え、担任を持つとやはり、大変のようですね。」
「……まあ、それなりに。」
「これからは……個人面談があるのですね。保健室は夏休みは休みなので助かりますけど、職員の方は大変ですわ。」
普段、長期休みの間、保健室は利用者が酷く減るために、閉める事になっている。
保健室を閉めている、ということは、ラクスも仕事がないのだろう。
「個人面談の資料も大変ですけど、その後の後期の授業の準備も残ってますから。」
と、そこで体温計の鳴る音がするから、それを取り出すと、やはり熱があった。
「まあまあ……これは、一度家でゆっくりお休みなさる方がいいみたいですわね。」
「そのようですね。今日はもう、切り上げます。」
明後日から、面談が控えているから、体調は整えておかないと、後々自分が苦しくなるだろう。
「身体は大事になさってください。彼女を心配させてしまいますわ。」
普段なら、もっと応戦しているが、今日は熱のせいか、そういう気力はなかった。
「ご忠告どうも。」
薬もありがとう、と言って、アスランはぼんやりとする頭で、保健室を後にした。
今日は帰ってすぐにベッドに潜り込み、明日に、今日の分を取り返さないとと、考えながら、こんなときに、この間のサプライズのようにキラが家で待ってくれていたら、気持ちが浮上するのになあと、そんな埒も明かないことを考えていた。