第5章 Be painful now , but tomorrow surely...... 3
朝、目が覚めると、まず携帯を見る癖がついた。
学校が長期休みに入り、学校に登校しなくてもいいが、普段の習慣というべきか、目が覚める時間はいつも同じだ。
夏休みになって、早くも一週間が過ぎた。
もちろん、夏休みにはいってのはじめの休日、アスランと会ったが、そのときの彼は日々の忙しさに、顔が疲れているにように、キラには見えた。
だから、外へ行く予定であったけれど急遽変更し、アスランのマンションでゆっくりと時間を過ごしたのだった。
生徒は夏休みで、特に勉強をするだけの身分であるが、担任を受け持つ教師は、夏休みの冒頭から、三者面談があり、その資料作りなどが忙しいのだと、アスランは漏らしていた。
かと言って、受験生のための指導というよりは、現状の成績の開示、またユニバーシティへの各々の希望学部の志望人数等や、それに関する試験など、エスカレータ式にユニバーシティに入学するだけに、そう張り詰めた雰囲気もない。
かといって、気を緩めていいわけでもなく、勉強するように、という指導は入るのだが。
それを連日行い、またその上、次学期の授業の準備も進めなければならないらしい。
面談が終われば、この忙しいのも終わり、落ち着くのだと彼は言った。
忙しいというだけに、やはりメールを送っても返事は遅いし、それは殆どキラが寝入った後に返事が返ってくる。
それを見たいと思うために、以前になかった習慣、ベッドの枕元に携帯を置き、起きぬけにそれを見る癖がついた。
それを受信し、クリックすると、おはよう、という冒頭文に続き、目を通し、読んだ後、一度身支度を整えてからメールの返事を送ろうと、電源ボタンを押し、壁紙を開いたところでキラはあることに気がついた。
―――そういや、今日、僕の面談があったっけ……。
もう一度日付を確認すると、やはりそれは、面談のある日だった。
―――アスラン、頑張ってくれてるんだなあ…・・・。
そう思って、充電の切れかけている携帯電話にアダプタを差込み、コンセントに挿し、キラはパジャマから、普段の服に着替えた。
面談だから、ということで、キラは母と一緒に学校に登校した。
今、母は担任として、彼と会うことになるけれど、いずれまた、彼氏として会ってもらうことがあるのだと思うと、母を騙しているような気がする。
考えると胸が痛い。
けれども、正直に言ったところで反対されるであろうし、快く思われないだろう。
自分はいいけれど、アスランのことを否定されたくはない。
難しいなあと、キラは思う。
母も、アスランも大切なひとだ。
それに、優劣を付けることはできないけれど、どちらも自分にとって掛け替えのないひと。
だけれど、その大切なひとに、母に本当のことは話せない。
それは、胸の痛むことであるけれど、今は仕方のないことでもあると、言い聞かせ、担任の待つ教室へと向かった。
対面式に置かれた椅子に腰掛け、アスランが話す、キラの様子を、母は時に顔を頷かせながら、聞いている。
内容としては、ユニバーシティの希望学部に、このままの成績であれば、どこでも入れるであろうということ、成績は非常に良く、学習態度も良いという内容が大まかに話された。
教育ママではないキラの母は、成績についてそう深い関心があるわけではなかったが、やはり他人から、良好だという言葉を貰うと、やはり嬉しいらしく、いつもより母の顔は明るい。
勉学はもちろんであるが、それよりも、学生の間は、ひとから教わることはないことを、身につけるべきだと言う母は、元から勉強に関して何か言ってくることはなかった。
「今までと変わりないように勉強をしてもらえば、問題はないでしょう。私からは、キラさんの学校の様子についてはこれで終わりますが、何かご質問などありますか?」
アスランは言いながら、今まで話しながら広げていた資料を片し、机の上を綺麗にする。
「いえ、特にはありません。これからも、娘をよろしくお願い致します。」
まるで、これで面談は終わるような段取りであるが、時計を見ると、面談の時間の終わりまでに未だ時間の余裕がある。
こんなに早く終わるものなのかなと思ったが、やはり、そうではないようだ。
これで終わりだとアスランは言うが、腰を上げるのではなく、反対に居ずまいを正す。
一体何が起きるのかと、キラはアスランの顔を見たが、彼の顔は真剣そのもので。
話の具合では、まるで面談が終わるようなものであったが、アスランの様子はそれとは反対のものであることに気づいた母も、上げようとしていた腰を再び椅子の上へと下ろした。
「こんなお話をここでするのはおかしいことですが、これを機会にお話したいと思います。ここからは、キラさんの担任ではなく、ひとりの男として聞いて欲しいです。」
突然の内容に、キラは何をアスランが言わんとしているのか分からず、彼の瞳を見つめる。
キラは唾をごくりと飲み込んだ。
「ご存知かと思いますが、キラさんの左手の薬指に嵌められている指輪を送ったのは俺です。俺は、キラさんと、結婚を前提にお付き合いさせて頂いております。」
まさか、アスランがこんな話をしだすと思っていなかったキラにとって、それは酷く驚くべきことだった。
「教師と生徒という立場でありますが、いづれキラさんがユニバーシティを卒業したら、籍を入れたいと考えています。」
教師、しかも今は担任の先生であるひとが彼氏だなんて、きっと母は快く思わないだろうと、今までに何度と無く思ってきたし、今日も面談が始まる前に考えた。
だから、母の反応が少し怖くて、しかし逃れることの出来ないことだと、彼女の顔をそっと見ると、思いのほか、それは悪くなった。
「ザラさんだったのですね。キラの彼氏という方は……。」
しかも、漏れた声も、そう非難がましいものでもなく、普段と変わらないように聞こえる。
「こんなにもキラと歳の離れた方だとは想像もしませんでしたが、きっとキラのことですから、年上のひとを選ぶのではないかと思っていましたよ。結婚を前提にお付き合い頂いているとのこと、ありがとうございます。」
しかも、お礼まで言い出す始末だ。
母の考えていることが分からなくて、キラは頭を傾げたくなる。
けれども、少しほっとしたような気持ちになったのも、また事実であった。
「キラから聞いていると思いますが、小さい頃に、男の人から暴行を受けていて、胸のところにちょうど傷跡が残っています。それから、キラは男の人が苦手だったのです。それは、どうやら今でも残っているみたいですが、それがあなたには全くないようで、親としては、嬉しいです。」
きっと主人も喜びます、と添えた。
「少しくらいあなたの人柄も知っているつもりですよ。いつも、キラを家まで送ってくださり、ありがとうございます。」
キラが、玄関の扉を開けて、それが閉まってから、いつも遠ざかる車のエンジンの音。
それを、母はいつも聞いていたというのか。
「事件があってからのキラの男性に対する接し方を見て、もしかすれば、キラは私たち主人と一緒に暮らすことになるかもしれないと思っていました。けれども、こんなにも、キラを大切にしてくれるような方がキラの傍にいると知って、安心しました。確かに、担任と生徒という関係は歓迎できないですが、キラが納得しているなら、別に私がつべこべ言うつもりはありません。」
てっきり母は反対すると思っていたキラは、母の反応には酷く驚かされた。
まさか、あんなにも応援する姿勢で居てくれたとは、思いも寄らなかった。
確かに、幼い頃に、あんな出来事があったためか、男のひとは苦手であったが、確かにアスランに対しては、そういった感情は全くと言っていいほど浮かばない。
それさえをも、母は見抜いていたらしい。
しかも面談の後、母はこう言ってのけた。
「アスランくんって、格好いいわねえ。」
そんなことを言う母に、少々拍子抜けな感じはしたが、とりたて反対もされず、それは和やかに終わった。
しかし、驚くべき点はそれだけではない。
まさか、あの場で、アスランがあんなことを言い出すとは、少しも知らなかったし、そんなことを考えているとは思いもよらなかった。
びっくりしたし、驚いたけれど、それよりも何よりも、嬉しいという感情が沸きあがってくる。
本当に、アスランは自分を結婚相手と考えて、付き合ってくれていると思うと、嬉しくて嬉しくて。
考えると心臓がばくばくと鳴り、そしてそれは中々収まらない。
嬉しい。だいすき。身体中が熱くなる。
胸の中に込み上げてくる、いろいろな感情が爆発しそうで、アスランにメールを送ろうと携帯電話を鞄から取り出そうと思ったが、それは見つからない。
どこにいったのだろうと考えて、そういえば充電をしているのだと、思い出す。
無いものは仕方がないから、家に帰ったら、一番にメールを送ろう。
そして、嬉しい気持ちを、アスランに伝えようと、キラは、デパートに用事があるという母と別れて、家まで帰る電車の中を、ひとり揺られていた。
しかし、その日のうちにキラがメールをアスランに送ることはなかった。
メールと電話の着信を伝えるランプがチカチカと暗闇の中を点灯するが、それは空しく、夜中の間ずっと光っているだけで、誰の手にも取られることはなかった。
面談が終わって、言葉には出来ないけれど、その場でにっこりと笑い、アスランに笑顔を見せ、駅まで一緒に歩いた母に、バイバイと手を振って、キラは家路に着くはずだった。
けれど、キラは家に帰ってこなかった。