第5章 Be painful now , but tomorrow surely...... 4
無断で外泊など今までになかった。
たまに遅く帰ってくることはあったが、その前には必ず携帯電話から連絡が入った。
しかし、その携帯電話は部屋に置かれたままで、誰からかの着信を示すランプがチカチカと点灯しているだけだ。
「どういうことかしら。」
夜が更け、朝が来て、昼になっても一向に連絡はなく、ひとり娘が家に帰ってくる様子がない。
昨日の面談の帰り道に何かあったとするならば、もう行方が分からなくなって二十四時間経っていることになる。
不安は隠せず、もくもくと煙たい何かが、心を覆う。
こちらも心配を隠せない様子をしながら、しかし休むことの出来ない会合が入っているからと、しぶしぶキラの父は家を出た。
原因は分からない。
だた、大きな会社の会長職を務めるキラの父が、まわりから恨みを買われていないとは考え難い。
以前のキラが幼い頃にも起きた事件のときに世話になった、口の堅い知り合いの探偵に連絡を入れ、最近小会社関連で何か無かったかの調査をして貰うよう、電話をした。
もしかしたら、と思い、キラの彼氏の家に居るのかと思ったが、今までの様子を見る限り、無断外泊を勧めるような人間でもなければ、連絡を忘れるという抜けたこともしないだろう。
しかし、念のためにと、電話をかけたが、やはり何の消息も掴めなかった。
(そういえば、いつも来る時間にくるメールが来ないですね……俺の方でも色々調べてみます。)
アスランの声音からも、少し固い声が漏れてきた。
思い当たりのない、今回のキラの失踪に、母は深いため息と、やるせない感情を、深く吐き出した。
『もしもし、ラクスですか?』
朝早くから、一体何の用事があるのかと受話器を取ると、それはいとこの声であった。
「ああ、アスラン、おはようございます。どうか致しましたか?」
何もなければ、たわいもないことなどは全てメールで遣り取りをしているのが普段であるから、それが電話となると、火急を要するものなのだろう。
嫌な予感が胸を過ぎる。
『キラが、キラが居なくなりました。』
「なんですって!」
やはり、予感は的中した。
「あれ程、気をつけるようにといったのに……まあ原因がアスラン絡みとは言い切れないでしょうが、そういう可能性も無きにしもあらずですわね。まあ、あなたへの小言は後にして、今はキラの行方を知るほうが先決ですわね。」
言いたいことは山ほどあるが、ここで言っても仕方のないことであるし、今はそれよりもたいせつなことがある。
『もちろん、時間を見つけて、行ったことのある場所などに行ってみようと思っていますが、面談が今日も入っていて、抜けられそうにないので、ひとまずラクスの方にもお願いしたいと思ってます。』
「確か、キラさまは、大手企業の社長のひとり娘ですわね、それが関連している可能性もあるでしょう。分かりました、父の方にも連絡を入れておきますわ。」
『それから、キラの両親からのお願いで、出来るだけことを大きくしたくないとのこと、警察などには何も連絡をする予定はないそうなので、その点だけお願い出来ますか?』
「分かりました。」
アスランとの回線を切り、折り返し、父の携帯へと回線を繋ぐ。
「もしもし、父様、今お時間よろしいでしょうか?」
『ああ、ラクスか。何だ?』
「学園のハイスクールに通うアスランのクラスの子の行方が分からなくなりました。ハイスクールの名簿と詳細の書類を送ってもらえませんか?」
『それは……構わないが、量が多すぎて、メールでは受信しきれないと思うが。』
「情報が漏れるといけないので、今日そちらに取りに行ってもよろしいいですか?」
『確かにそちらの方が確実でいいな。分かった、用意しておこう。』
「ありがとう、父様。この件が終わりましたら、またお食事に行きましょう。」
過去に、父の権利を利用することなど、一度もなかった。
しかし、今はそれを頼る方がずっと物事はスムーズに進む。
あの広大なパキラ学園の学園長を務める、シーゲル・クラインの顔の広さと懐の大きさには、ラクスさえも太刀打ち出来ない。
目が覚めると、そこはひどく暗かった。
湿気が溜まってるのか、熱気を感じるが、格子の窓から漏れるのは夕暮れ時だった。
コンクリだけの、広く暗い部屋に置かれたベッドの上に、自分は寝かされているようだ。
両手首をベッドの背中に括りつけられているために、体勢は苦しい。
一体、自分はどうしてこんなことをされているのだろう。
確か、面談からの帰り道に電車に揺られて、自宅に最寄の駅で降りた。
大通りを抜けて、比較的人通りの少ない静観な道を歩いていたときに、後ろから何者かに何かを嗅がされて……。
途端に、寒気が身体中を襲った。
熱くて、ひたいにはじんわりと汗が浮かんでいるが、それさえも寒く感じる。
しかも、何かあったときに、抵抗しにくい体勢で。
どうしてこんな目に遭っているのか、ちっとも分からず、しかし恐怖心だけは身体中を襲う。
固いロープのようなもので縛ってあるらしい手首のそれは、どれだけ動かしても解ける様子はなく、反対に、動かせば動かすほど自分の手首に食い込み、それが痛い。
どこからか複数の靴音が聞こえてきて、その恐怖感は益々キラに押し迫る。
丁度自分の頭のある側に扉があるのか、そこからひとがわらわらと入ってくるのが、分かった。
「おお、譲さんが目覚めてるぞお。」
聞こえてきた声は、野太い声だった。
それに続く声も、やはり男性の声で、それらは若いとも、年老いたともつかないような声だった。
ベッドに近寄ってくるひとは全部で四人いるらしい。
一体何が起きるのだろうという恐怖感と、しかし分かってしまうこれからと、想像したくないと逃避する思考がない交ぜになる。
ぶるぶると震えそうな身体を、隠すものはなにもなく、身体中が強張る。
「こんな上質な子をいいんですかあ?」
囲む男の瞳は黒いけれど、どこか濁っているように見える。
しかし、そこから発する視線はひどく気持ち悪い。
「好きなようにしてくれて構わないわ。殺さない程度にね。」
部屋の外から聞こえてきた女性の声は、聞いたことのあるような声で、一体誰のものだったかと思ったが、それよりも何よりも、恐ろしい声がキラの耳に届いた。
―――殺す……殺さ、れる……?
「そのために、純なものを用意したのよ。しっかり楽しみなさい。」
そう言って、女の人は去っていたらしく、扉が閉まる音がした。
「や、やだ……やめ、……。」
「だあいじょうぶだぜ、嬢ちゃん。ちょっとだけ良くなるだけなんだから。」
そう言って、にたにたとした顔を男たちは見合わせる。
「……おねがい……やだ……やめ、……。」
恐怖の余りに、細い声が漏れる。
しかし、男たちの歓喜に、その少女の恐怖の声は届かない。
完全に逝ってしまったような瞳をした男たちは、その表情と瞳を見ると、明らかにおかしいと、キラには分かった。
「おい、おまえ等、ちゃんとしっかり捕まえておけよ。」
ひとりのダミ声をした男が言うと、それぞれ男たちがキラの身体を強く捕まえた。
その皮膚の感触さえも気持ち悪くて、必死の抵抗を試みたが、男の力には敵わない。
命じた男が、どこからともなく注射針を出してきた。
それには透明の液体がゆらりと動いている。
「ほうら、これが凄いいいんだぜ。お嬢ちゃんもきっと、気にいるぜえ。100パーセントなんて、高いんだぜえ。最近は混ざり物が多いからなあ。」
そういって、窓辺の少しの明かりを元に、注射針から液体が出てくることを確認する。
出てきた数滴のそれは、銀色のハリ部分に伝っていた。
「おい、お前達、よく見とけよ。こんな上物の女なんて中々捕まらないんだかんな。」
呼びかけに、キラの身体をしっかりと押さえている男たちは、息の荒い笑いをした。
「やだ、やだ、やめて、やめてえ……。」
「だあいじょうぶって言ってんだろお。純のシャブだ、気持ちいいんだぜえ。」
男が左の腕に針を押さえる。
「い、や……やめ、おねが……やだ……。」
懇願は受け入れられず、男の指が注射器のピストンを押した。
恐怖感だけが先に立ち、針の傷みなど、少しも感じなかった。
感覚だけは冴え、男たちの皮膚の感覚がさまざまと感じさせられる。
注射針が押され、体内の血液の中に入ってくる感覚が、手にとるように分かった。
「う、あああ……。」
キラの声が、部屋中に響き渡った。