第5章 Be painful now , but tomorrow surely...... 1
季節はめぐりにめぐり、あの寒かった冬も終え、うつくしかった桜も散り、今は青葉が茂り、それに指す日差しはひどく眩しい。
始業開始ベルが鳴っているにも関わらず、ホームルームを開始する担任が未だ教室にやって来ないために、そこは騒がしい。
未だ、今学期末テストを控えた、少し張り詰めたような雰囲気を、キラはぼんやりと感じながら、今年も同じクラスになったフレイと、話していた。
三年になり、ユニバーシティへ通う年齢へと刻々と近づいている彼女たちの勉強は、それなりに大変なものである。
一応エスカレート式の大学であるから、決してそのエントランスを潜れないということはないだろうけれど、新学期早々の担任の言葉に、少なくとも勉強をしなくてはならないのだと、感じさせられた。
ユニバーシティに行っても、ハイスクールの勉強がしっかり身についていないと、成績が足りず、最終的には籍さえも無くなってしまうのだ、と担任は言った。
―――決してそういうことがないように、今年一年間、しっかり頑張って欲しい。
そう、言われれば、勉強せずにはおれなかった。
それは、自身のためでもあり、また担任を怒らせないように、というクラスの考えなのかもしれない。
今年のこのクラスの担任も、例年の通り、去年の担任たちが持ち上がりだと学年全体で予想していた。
それは、この学園ではごく普通のことであるし、ミドルスクールの頃からの習慣でもあった。
しかし、最後のハイスクール生活というときに、どういう訳か、持ち上がるだろうと思われていた教師の半分くらいが、今年入学したハイスクールの学年の受け持ちになったのである。
二年間馴染んだ教師の顔ぶれが変わることは、生徒たちにとってあまり喜ばしいことではなかったのだが、一部では黄色い声が上がった。
それは、男女ともに人気のある、あの物理教師のアスラン・ザラが担任を受け持ったからである。
勤めだして数年であること、また物理を教えているのがほぼ彼ひとりであることから、授業のレジュメや準備だけで忙しいと言われ、今までに何度となく担任にならないかという打診を断っていたらしい。
それが、どうして今年に限って、担任を引き受けたのかは、生徒達にはあずかり知らぬところがあったが、ザラ先生が担任だと、喜ぶクラスの子は少なくなかった。
アスラン・ザラが担任を受け持つそのクラスの中に、勿論というべきなのかどういうことか、キラ・ヤマトの名前もあったのである。
物理を解くというのは、ひどく脳が凍るような感覚がする。
それは、Uの分野であれば、もう考えること事態フリーズしてしまい、考える気力さえも奪われる。
魂が抜け切ったフレイは、シャーペンを持つ手をぶらりとさせた。
「そういやさあ……あんた、誕生日に彼に何してもらったんだっけ……?」
「え、んと、ディナーで食事をさせてもらって、それでキーリングをもらったけど……だいじょうぶ、フレイ?」
難しい内容ではあるが、それはクラスの物理選択者も同時に思っていることである。
難しいといって、勉強をしないでおくと、平均点さえも及ばなくなってしまうのだから、やはりしなくてはならない勉強だ。
キラにとって、物理はそう難しく感じるものではなかったが、キラにだって、それなりに苦手な科目や嫌いな科目はあるから、フレイの気持ちも分からないでもない。
試験中は常に常用しているチョコレイトを鞄からだし、フレイに渡した。
「物理、そんなに駄目なら、何か手伝うよ?別に僕じゃなくても、サイも物理、出来るでしょう?」
フレイの彼氏の名前を出すと、フレイは、貰ったチョコレイトの包み紙を剥がしながら、手を振った。
「ああ、だめだめ。サイは当てにならないの。点数はいいけど、教えるとなったら、すっごく下手だから。」
やっぱり、キラに後から見て貰うわ、と言いながらフレイは机に突っ伏した。
「そういえば、あんたの彼氏が問題なのよー……あんな問題作成者、本当に信じられないわ。公式くらい載せてくれたっていいと思うのに、キラはそう思わない?」
授業はひどく分かりやすいが、それでも他の科目に比べて科目自体が理解することを困難に強いられ、挙句の果てにテストは難しいとなると、もう手も足も出ない。
そういえば、キラが言っていたキーリングは見せてもらったことがあるなあと、フレイはぼんやりと思う。
リングの上下部分に、びっちりとブランド名が彫られた、ものだったのを思い出す。
それには、キラの家と思しき鍵と、ほかにもうひとつ、見たことのない鍵がつけられていた。
どうせあれは、彼氏の家の鍵なんだなあと思ったのを、フレイは忘れていなかった。
エンゲージリングといい、キーリングといい、やはり大人なんだなあと思うと同時に、キラに対して、あの世のものと思えないほど整った顔をした大人はべろべろに彼女を可愛がっているのだなあと、中てられたような気になる。
その甘さを少しくらい、物理のテストに分けてくれはしないのかと、凍る脳内で思うのだった。
そうこうして始まったテスト期間であるが、もうすでにテストが始まる前から、フレイは枯れていた。
しかし、それはフレイだけではなく、クラスの状態もそれに近い。
張り詰めた雰囲気というよりは、みなそれぞれの教科に苦しんでいるようだ。
「期末が終われば、夏休みですから、それまで頑張ってください。」
しおれた空気に、励ます担任の声に、いつもの返事は心もとない。
「それから、夏休み中の三者面談の提出を忘れないように。期限は明日です。」
そう言ってもう一度頑張るように言った後、アスランは白衣を翻して、テスト本部へと戻っていた。
決して学校で、周りに気づかれることがないようにと、目立った行動は互いに控えるようにしているが、それでも恋をしているにんげんとして、相手の姿を追わない日はない。
普段には見せないような薄い笑みをキラにちらりと流して、アスランは教室を出て行った。
辛い試験週間であったが、始まってしまえばそれはもう気の楽なことに、終わりが見えてくることに開放感を覚え、そうして、テストは全て終了した。
テスト終了は正午頃で、それから授業はない。
そうして、テスト休みへとなり、そしてそれから数日後には、あっとう間に夏休みへと入る。
普段は大抵土曜日か日曜日にデートをするのだが、やはり学生の身であることから、試験週間は、デートは控え、勉強をしていた。
毎日学校で顔を合わしているし、メールもしている。
寂しくはないはずなのだけれど、やはり毎週の当たり前、のようになっていたデートが出来ない、恋人としての顔が見れないということに一抹の寂しさを感じていたのは、隠せない事実であった。
胸が騒いで、そして、アスランは今頃何をしているのだろうと、考えては、動かしている手を止めた。
けれども試験中だからと、冷えるこころを叱咤し、勉強に励んだ。
そんな日もひとまずは終わりを告げ、もう長期休みも目前と迫っている。
しばらく見ていない恋人の顔を見たいがごとく、一度自宅に戻って、私服に着替えてから、キラはアスランの家へと向かった。
やはりアスランは未だ仕事中のようで、マンションの鍵は閉まっている。
誕生日にもらったキーリングを取り出し、これまた少し前にもらった鍵で、アスランの家を開ける。
がちゃんと、施錠が解除され、重い扉をキラは開けた。
年末年始にここで泊まっていたおかげで、どこに何があるのか、大体のことは空でも思い浮かべられるようになった。
それでも現実に目で見ると、ああこれがアスランの家なのだと思えてくる。
リビングへ行くと、全ての窓が閉められ、空気が少しむわっとしていた。
とりあえずその熱気を含んだ空気を外へ出すべく、窓を開ける。
やはり、地上から離れているためか、自分の家で感じるほどに、熱気を感じさせない。
高いところもいいなあと思い、家主のいないソファにキラはちょんと腰を下ろした。
ガラステーブルにはテレビなどのリモコン類が放りっぱなしにされ、また新聞も何日分かそのままにされている。
自分たちも勉強が大変だったけれど、担任を持つ教師もやはり大変なのかもしれない。
テスト問題の作成や、担任としてしなくてはならない仕事。
それに、今はきっとテストの採点に追われているのだろう。その後はきっと成績表に関しての仕事が山積みのはずだ。
放られたままのそれらをキラはあるべき場所に戻し、そして、キッチンの方へと向き直った。
やはり、こちらも手が回っていないようだ。
朝飲んだのだろう、コーヒーの飲みかけがマグカップに残されたままで、朝ごはんに使ったのだろう食器が、シンクに落とされたまま、洗われていない。
辛うじて使ったフライパンは洗ったようだけれど、きっと乾かそうと思って置いたIHの上から片付けられておらず、そのまま放って置かれている。
時計を見れば、まだ昼を回ったところで、きっとアスランが帰ってくるのは遅いのだろう。
時間によっては帰ってくるまで待つことは出来ないけれど、ここの片付けを済まし、晩御飯だけでも用意することは難しくない。
もしも会えなくても、明日ならば土曜日であるし、会うことが出来る。
それに、アスランの匂いがふわりと漂うこの部屋にいるだけで、彼と一緒に過ごしているような気持ちになれる。
アスランの負担を少しでも軽くすることが出来ればと、キラはキッチンに立ち、洗い物から始めた。
それから、やはり溜まっていた洗濯物を済ませ、そしてスーパーへと向かう。
夏バテ予防には何がいいのかな、やっぱり野菜を使って、さっぱりしたものだよね、とそんなことを考えながら、スーパーに山積みされた買い物かごを手にとった。