愛しさの対象、それは俺の彼女。

番外編 雨上がりに、明日を見つめて〜Kira Side





これを買ってきて欲しいと、母にメモを渡すと、彼女はじっとそこに書かれた材料に目を通した。
「チョコレイトは?」
「ううん、いらない」
「そうなの? 折角のバレンタインなのに、チョコレイトがないのは、ちょっと淋しい気もするけれど……」
「だって、きっとその日はたくさんのひとから貰うだろうし」
何も、バレンタインという季節は、恋人同士だけに与えられたものではない。
その日の、バレンタインという名を借りて、想いを告白するひとも居ないとは限らない。
しかも、彼は学校で凄くもてるから、慕う先生へ、などという名目からプレゼントする人も少なくないはずだ。
それに輪をかけるようにしてチョコレイトを渡すのは、周りのチョコレイトの味と比較してしまいそうな気がする。どちらかと言えば、それはアスランがするというより、僻んだ自分が勝手に己の首を絞めるという行為であるけれど。
概製品を買うつもりなど毛頭なく、しかし自分が作れそうなチョコレイトを使ったお菓子のレパートリーもそう多くもないことから、チョコレイトは一切使わないことに決めたのだ。
「そう?じゃあ、ここに書かれているものでいいのね?」
母はもう一度念を押すように言ってから、キラの望むものを買うべく家を出た。

本当の、彼と会う約束をしていたのはバレンタインのある週末だったけれど、それまでどうしても待ちきれない。
アスランが気を使ってくれての週末の約束であることは、勿論分かっていたはずだけれど、いざその日が近づくと、どうしても我慢の気持ちを抑えられなくなってしまった。
買ってきてもらった材料を母から受け取ったキラは早速、作り始めた。
ハードビスケットを砕き、そしてそれを分量どおりのバターと絡める。
そして、ここが一番美味しいと母と意見が一致したチーズとヨーグルトをミキサーにかけながら、キラはあの、優しくて、だいすきなひとのことを思い浮かべた。



しっかり一日寝かしたそれを、冷蔵庫から取り出すと、とてもいい具合に固まっていた。
味見をする訳にもいかないから、それを確かめることは出来ないけれど、今まで作ってきたときと手順などひとつも変わったことをしなかったから、きっと美味しいはず。
それを手早くラッピングしてから、そろりと紙袋の底に置くと、キラは自室へと戻って出かける準備をした。

バレンタインといえば、いつも学校の友達と交換するためのお菓子を作る日、というイメージがある。
中学校から、変わらぬメンバーで交わされてきたそれが、自分にとってとても当たり前の出来事であったし、それが普通だと思っていた。
けれども、いざ恋人のいるバレンタインがやってくると、誰よりもたいせつなひとにプレゼントするものを、いちばんにおいしくなるように作りたいと思えた。
誰よりも、何よりも、自分よりも大切なひと。
彼に言うと、そんな自分を安っぽく扱うのは止めなさいと言われるから、決して口には出さないけれど、胸の中に眠る彼へと愛しさはもう大きすぎて自分で手を持て余してしまうくらいに、育っている。
一時は、枯れて茎部がカスカスになって、横たわり、土の一部になってしまうかと思ったけれど、今では青々とした葉をつけている。
自分ひとりだけでは育てられない、それはアスランが居るからこそ、青く茂っているのだと、思えば余計に胸の中が暖かくなってくる。
部屋のクローゼットに掛かった服は、サイズが大きすぎてなんだか頼りない格好になってしまう。
買いに行きたいけれど、未だそこまで体力的なものも、精神的な余裕もないから、しばらくこのままで乗り切らないといけない。
出来るだけ自分の身体の薄っぺらさが目立たないような服を選んで、鏡の前に立ってみた。
―――……なんか、自分じゃないみたい。
今までに比べると食べるようになったし、散歩程度外を歩くことも出来るようになった。
顔色は青白いものに比べればずっとマシになったと思う。
けれど、何かが今までと違う。
いやだな、と少しだけそんなことを思って、しかしどうしようもないのだから、気にしない方がいいだろう。
白いコートをばさりと着ると、少しそれが隠れたように見えた。



早くに着き過ぎても、きっとアスランは家に居ないだろうと思って、比較的時間を遅くして家を出たつもりであったけれど、やはり予想通り彼は未だ帰宅してはいなかった。
貰った鍵でそれを開けると、重たく錠が解除される音が響き、そして扉を引く。
少し重たいなあ、と思ってからゆっくりとそれを閉めると、玄関は真っ暗だった。
「お邪魔します」
声は小さく霧散して、闇の中へ消えていく。
靴を脱いで、いつもアスランと時間を過ごすことの多いリビングへと突き抜けた。
西側の窓から入ってくる傾いた陽が、まぶしく部屋の中に入り込んでいて、そこはオレンジ色の空間になっていた。
白いカバーのかかったソファも、白い壁も何もかも染まって、そこはまるで、別の世界に迷い込んで来てしまった、知らない場所のようにも見える。
けれども、そこにあるにおいは確かに、よく知ったアスランが愛用している香水と彼の混じったにおいがする。
引き付けられるように、キラはソファへ座りに行った。
ケーキを入れた紙袋を、目の前にあるガラステーブルの上において、キラは深く腰を下ろした。
目の前に広がるがらんとしたキッチンも、淋しいような、しかしオレンジ色に染まったそこは、いつもとは違う雰囲気を確かに出していた。
けれども、それは自分を決して遠巻きにするこことはなかった、寧ろ何か暖かさをそこに秘めているようで、とても暖かいと思う。
それは、だいすきなひとに抱きしめられているときの感覚にも似ていて、ふわふわとした気持ちになってくる。
これが、しあわせというのだろうか。
それだったら、僕は本当に羽のようにやわらかな、やさしいところに自分は居るのだと思う。
抱きしめられて、囁かれて、もう自分の中に、アスランが居ないところはないというくらいに、彼の色に染まったこの身体を、ずっとこれからもアスランに愛されたいと思うし、自分も愛したいとも思った。
貪欲なほどに欲する愛は、きっとどれほど貰っても溢れることはないだろう。
早く帰ってこないかな、と未だ居ぬマンションの住人を思いながら、久々に歩いた外の世界に少し疲れたからだは、うつらうつらとソファに身体を沈めていく。
―――アスラン、だいすき。
口にしたつもりだが、しかしそれは胸の中から出てくることはなく、静かにキラの目蓋が伏せられた。




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