愛しさの対象、それは俺の彼女。

番外編 雨上がりに、明日を見つめて〜Athrun Side





世の中バレンタインの季節になると、とてもピンク色になって見えるのは、強ち間違っていることではないだろうと思う。
どこを歩いてもバレンタインを謳った広告が目立つし、ポスターさえもピンク色を貴重にしているものが多い。
デパートなどに向かえばバレンタインのための特設会場が設置されており、そこにどこぞの有名な店から取り寄せた、一箱数千円するものから、義理というのにとても相応しいような数百円のお菓子といっしょになったチョコレイトまで置かれているのが、毎年の恒例になっているようにも見える。
ハートを乱舞させて、そこに矢が刺さっているピンク色の包装紙はは、ひどく見慣れたもので、とても鬱陶しいと思っていたけれど。
そんな風に思えなくなったのは、きっと自分にとってひどく愛しいと思えるひとが、出来てしまったからだろう。



学校には、お菓子を持ってきてはいけないという校則がないため、バレンタインのためにチョコレイトを持ってくるというのは、特に見慣れた光景であった。
そこには今日こそ想いを伝えるべくして、きちんと包装されたものを持ってきている生徒ももちろんいるが、そうではなく、バレンタインという日を手作りのチョコレイトを使ったお菓子の交換会となっているような節が女子生徒の中には毎年あり、そういった子らは、皆タッパーなどに入れてくるから、それを明ける度に教室中は甘ったるい空気になるのだ、とどこかのクラスの担任を持つ先生が言っていた。
それを過ぎた年に聞いていたが、やはり担任を持ってそれを実感すると、胸がどっと重くなる。そして、ご多分漏れず物理室にタッパーを持ち込む生徒はやはりいて、そこでもチョコレイトの匂いが充満してしまう。
特に甘いものが嫌いだという訳ではないが、しかしこれほどにも濃厚なものをにおっていると、それだけで胸焼けをしそうになってしまい、アスランは生徒に問題を解かせている間に、教室の窓を開けた。

「ザラ先生は甘いものは苦手ですか?」
次の授業の準備を終え、物理室の隣にある物理準備室へと戻りお茶の準備をしていると、自分の倍ほどの年齢の先生が尋ねてきた。
授業中に、この寒い季節、わざわざ教室の窓を開けたことを言っているのか、とアスランは突然の質問に納得した。
「ああ、別に嫌いではないんです。ただ匂いがちょっと、来てしまうので」
このひと時のお茶がとても美味しいんです、と言うと、彼は目の端に皺を寄せて笑った。
頭に白いものが混じった彼は、自分がこの学校に赴任してくる前から何十年と勤めてきたという。
研究発表しているものはひどく評判が良く、物理会では非常に有名なひとであるが、授業をし、生徒に教える側としては、その才は発揮されなかったらしく、物理を選択している生徒からは、分り難いとの言葉を何度か聞いたことがある。
「恋の季節ですからな。チョコレイトは中々美味しいですぞ」
「私はもう、匂いだけでもう十分です」
「ところで、先生に恋多き生徒が多いように見受けますが……?」
その割には、机の上にも、その他どこにもチョコレイトの陰が見えないと暗に告げる彼に、アスランは「彼女たちのものは受け取らないことに決めているんです」と返す。
「私からは彼女達に何も返すことは出来ないので」
というのは表向きのことばである。
この時間を迎えるまでに、何度かそういった想いを込めただろう包装されたそれらを渡されそうになった。
去年までなら、わざわざそれを付き返すもの面倒だと、そういう類のことは一切放っておいたけれど、今年は丁重に全てを断っている。
それは勿論、自分に彼女が居るからである。

きっと、彼女に出会っていなければ、こんなにもバレンタインが自分にとって楽しみのひとつになると、気付くこともなかっただろう。
知りもしない人からの手紙と一緒になったチョコレイトは、今まで不快な気持ちになったこともある。
バレンタインという日に便乗して、チョコレイトと一緒に想いを押し付けられるというのは、ひどく煩わしいものであり、また気持ちのいいものではないと思っていたけれど。
今までにこんなにも、このバレンタインという日が麗しいものだと、知ることが出来たのは愛しいと思えるひとがいるおかげなのだろう。
貰える何かを期待するというよりは、彼女と同じ時間を共有出来るというところに、ひどく幸せを感じる。
夏に起きた、あのおぞましい出来事から早くも半年が経とうとした今、自分たちの関係は以前よりも濃ゆさが増しただろうが、その間やはり、乗り越えた障害はひどく多かった。
しかも、それは特に自分にとって一番に大切なひとの方が、辛さは多く、そして自分自身も彼女に対して苦痛を味あわせてしまった。
その無念さと、不甲斐なさをない混ぜた、ことばにし難いものは、未だにアスランの胸の中を燻り続けている。
どうしたらいいのだろう、と考え続けているけれど、未だ答えは出ない。
今回の出来事の大半の原因に自分が大きく占めている、と聞かされたときのあの衝撃は未だに忘れることができない。
ラスクの、あの冷えた声は、あれから数ヶ月経った今でも容易く脳に蘇らせることが出来る。
彼女の言うことは最も正論で、だからこそ、自分は一体どうすればいいのだろうといううずだけが、胸の中を巻いている。
決して、自分が彼女に向かって何かをすること出来たとしても、きっとキラ自身が酷く遠慮するだろうということは、想像出来るし、言葉にするだけなら誰だって何でも出来てしまう。
必要なことは、態度、なのだろう。
何が、それに相応するのか。相応とは言わずとも、それに見合うものは一体何なのか。
自分はどうすれば良いのか。
高揚したバレンタインに染まった心とは一転、見えない未来に、アスランは少し白い息を吐いた。



仕事を終えて、自宅にたどり着くと、もう陽も落ちかけている。
玄関に入ったときから、今日の朝と比べて、増えた男性物ではない靴を見て、ああと思ったけれど、やはり彼女は訪れていたようだ。
平日に被るバレンタインであるから、その週の休日にでも会おうと、メールで遣り取りをしていたのだけれど、その日まで待つことが出来なかったのだろうか。
リビングにあるソファにころんと横になったそこには、無防備な寝顔があった。
ガラステーブルには、何か作ったのだろう紙袋が置かれているのを見て、アスランはその表情に笑みを浮かべる。
(かわいいなあ、もう。)
やわらかな表情で、眠っている彼女の頬をひと撫でして、アスランはソファの前に傅いた。
キラのことを慮っての、週末の逢瀬を約束したのだが、一体彼女はどう思ったのか。
それは難しくない想像で、だから、アスランは益々考えなければならないのだと思わされる。
未だ集団生活の問われる学校に行くことの出来ないキラは、出席日数が足りないことから、今年は卒業できないのだと、学年会議で決まってしまった。
出来事の代償は大きく、それは表面に彼女が出さないだけであって、きっとキラ自身を揺さぶるものには変わりない。
そして、その原因の一旦を自分が担っている。
自分が、彼女への代償として差し出すことは、きっと罪滅ぼしだと思われるかもしれないけれど。
このあどけない表情を、ずっと守りたいと思うから、自分には少しの決断が必要になる。
その力が欲しいと、アスランは静かに彼女の唇へと接吻を落とした。



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