第6章 ありのままに抱きしめて。壊れるほどに笑って。 1話
例えば、自分が出来ることは何なのだろうと考えたときに、ゆっくりと色々と思い起こすけれど、やはり何も浮かばなかった。
自分が出来ることは一体何なのだろうか。
真っ暗の中、ぼんやりと見える天井の柄を見つめて、キラはふうっと息を吐いた。
ベッドサイドに置かれた赤い光は、少しばかり明るいため、暗いながらもはっきりと部屋の隅々を窺うことが出来る。
いつもとなんら変わらない壁と天井をぐるりと見回して、もう一度寝返りを打つ。
水晶体に浮かぶのは、ベッドシーツと羽根布団の白さだったが、実際はそこを見つめておらず、空ろとした瞳は見えない何かを捉えていた。
生きていることは嫌じゃない。
彼に、自分が、自分よりも愛しいひとに愛されているこのしあわせな気持ちをきっと手放したくないと思うから、それをずっと感じていたいから、まだ生きていたいと思う。
けれども、胸に浮かぶ漠然とした不安感はじっとりと隅々を犯して、じとりと根を生やしている。
生きていることは嫌じゃない、けれど、自分が生きている意味が分らない。
それじゃあ、行き居ている意味がないなら、生きる必要がないのか、と問われれば答えることも出来ないけれど。
何か、答えが欲しい。
自分を許せるような、答えが。
結局眠れなかった。
眠りの底については浮き上がり、目が覚める。
それが何度も続いた。自分では意識してないつもりだけれど神経がぴりぴりしている証拠なのかもしれない。
壁に掛けられたカレンダーは出来るだけ視界に入れないようにして、キラはスリッパに足を引っ掛け、そそくさと部屋を出た。
床に、スリッパの音がパタパタ煩く鳴らないように足に力を入れながら、静かに歩き階下へと進む。
「おはようございます」
リビングへと入ると、朝早くからキッチンに立っているのか、白いエプロンを付けたラクスは髪の毛をひとまとめにして、何かを作っているようだった。
「おはよう、ございます」
「よく、眠れなかったのですか?顔色があまり良くありません」
こちらを見たときに、彼女は素早く自分の状態を見て取ったらしい。
「ううん、ちゃんと寝てたよ。それより……今日って学校じゃない、ですか?」
あまり自分のことを話すのは嫌で、気になったことを口にした。
いつもは、スーツというほど堅苦しいものではないけれど、綺麗にスカートなんかを着こなしているラクスが、どういう訳かパンツを履いているから、学校に仕事に行くのではないのだろうか。
「いいえ、今日も変わらず学校に仕事ですわ。けれど、今日は体育祭ですから、いつものような格好では、おかしいでしょう」
そう背中を向けながら、手元では何かをフライパンにかけている。
器用なひとだなあと、いつもと変わりない印象を胸に抱いた。
「体育祭、かあ……。もう、そんな時期なんだね」
カレンダーを見るのをやめたのはいつ頃だろう。
日付を追うことがどうしても怖くなってしまった。
十月上旬。本日、雲もないくらいに快晴。
* * *
体育祭となると、いつもと違って外靴で入ってもらうために、保健室内の床が茶色がかって見える。
負担は薄いピンク色のような床だが、この日の土の上がりようは、もうどうしようもない。
普段よりも生徒の出入りが激しく、立て続けの生徒の怪我の対応に疲れて、少しばかりため息をついた。
昼休みになれば、みな夫々自教室に戻っているらしく、生徒は殆どやってくる形跡もない。
冷蔵庫から取り出した、冷えた麦茶をひとくち飲んで、ラクスは窓辺に立った。
日差しはきついが、しかし勢いのいい風が、それなりに熱い肌を優しく撫でている。
ただ、きつい風が土ぼこりも一緒に巻き込むのは頂けないなあと思いながら、人気のない運動場に出て、ラクスは目を見張った。
「まあまあ……」
姿は小さいけれど、決して見逃すはずがない、いとこの姿。
その彼と、見かけない女子生徒を見つけて、ラクスは思わず声を漏らしてしまった。
わざわざこんな日の昼休みに、意中の先生に告白だなんて、とそんなことを思いながら、彼女はさっさと保健室内へと戻った。
やはり、あのパーツの揃った、顔かたちのいいアスランは、女子生徒の想いの的のようだ。
いとこという間柄なだけに、その性格の歪みきったような部分を知っているから、自分にとっては全く論外な人間であるが、やはり思春期の女の子には抜群にいいひと、という具合なのだろう。
それは、今自分が世話をしている少女、というにはあまりにも幼すぎる表現ではあるけれど、どことなく持つ色気と、垣間見える幼さを混在させているキラも、そのうちのひとりであったのだから、深く言う気はないけれども。
もう一度マグをもって、麦茶を飲もうとしたところに、扉の開く音がして、ラクスは反射的にそちらを向いた。
「失礼します」
「ああ、どうかなさったのですか」
客は、よく見知った顔だった。
キラの一番の親友だという彼女は、毎日というほどではないが、それでもあまり日をおかずに、家へとやってきては、学校の授業だの何だのと、面倒見がいい。
口元まで運んだマグを机の上においてから、ラクスはフレイの方へと近寄った。
「いえ、保健室に用があったんじゃないんですけど。……あの、キラは元気ですか」
それは、唐突だった。
だが、確かに近頃フレイが家に訪れている様子はなかった。
体育祭前の応援練習が忙しく足を伸ばすことが出来なかったのだろう、しかし。
最近の学生はメールで遣り取りをすることも可能だろうと思いそれを問うと、彼女は顔を顰めた。
「キラって、以前からあまり携帯を常に持っていなかったから、返事はいつも大抵夜遅い時間だったり、朝の早い時間だったり、でもちゃんと返事をくれてたんですけど。最近は、
何か返事が返ってくるのが、凄く遅いんです。一日後とか、酷いときは三日くらい返事が返ってこなくて……元気なら、それでもいいんですけど」
そう言って、フレイは眉を下げる。
「言動とかは、会ってたって、先週の週末なんですけど、その時もいつもと変わった感じは無かったんです。けど、今週っていうか、メールに関しては、それより前から変で」
「特に様子のおかしい感じは見受けられないですわ……」
と口にしながら、今朝のキラの顔色をラクスは思い出した。
顔色があまり冴えていなかった、つまりあまり寝れて居ないのだろう。
それが、メールの返事を返せないということに関連しているのか、今のラクスには判断が出来ない。
「今週は一回も顔を見に行っていないので、今週には、って言っても今週も週末くらいしか無理なんですけど」
そう言って、を高い位置で結った赤い髪を揺らしながら、彼女は笑った。
「またキラと話してみるので、ありがとうございます。先生でも分らないんだったら、多分大丈夫だと思います。じゃ、失礼します」
そう言って、颯爽と保健室を出て行く。
その姿を見送って、ラクスはもう一度息を吐いた。