Victim of Tide

2話





それは小さい頃の記憶だ。
よく、母さんは僕を抱きしめて泣いていた。
どうして泣いているのか、ちっとも分からなくて、「どうしたの?」と何度も聞いてみたけれど、それに母が答えることはなく、ただ「何でもないのよ。」といいながら、僕の背中で涙を流すのだ。
そして、彼女は時折こう言葉を漏らすのだ。
「キラ、ごめんね。」
一体、母が何に対して自分に謝っているのか、いつも不思議だった。
ただ、母は泣いていた。
けれども、いつしか母の泣く姿を見なくなっていった。
確かミドルスクールに通いだして、何年か経った頃から、気がつけば、母は泣き顔を見せることはなく、いつも笑っていた。
もしかしたら、自分の見えないところで、ひっそりと泣いていたのかもしれないけれど。
それは、キラのあずかり知らぬところであるけれど、確実に笑っている姿を見ることが多くなった。
それとは対照的に、父親とは殆どの交流がない。
いつも仕事ばかりに溺れているひとであった。
家に居ることは殆どなく、父兄参観や運動会に一度も来てくれたことはなかった。
どうして、父親が家にあまり居ないのかと母親に尋ねたならば、母は悲しそうに言うのだ。
「あなたのお父さんは、あなたの顔を見ることが出来ないのよ。」
そのとき、丁度お化けの本を読んでいて、ある妖怪と目が合うと石になってしまう、というのを読んだから、そうなのかなと思ったけれど、母は違うに決まってるじゃない、と笑い飛ばした。
父と母が一緒に居る姿をあまり見たことがない。
けれど、結婚をしたのだから、「父さんのこと、好きだった?」と尋ねると、「ええ、素敵な男のひとだったわ。」と遠い視線をどこかへ向けるのだ。
まるで、今は父さんのことが嫌いみたい、と言ったら、母さんは「嫌いではないわ。けれど、許せないの。」と言葉だけをとれば意味は分かったけれど、それ以上の真意を分かることは出来なかった。
新聞によく名前が乗っている父は、ひどく頭の回転がいいひとらしく、この世界でも一、二を争う天才だと言われているのだ、と母は言う。
そんなひとと結婚できたのだから、きっと母さんもかしこいのだろう、そう思って尋ねると、「……かしこい、かしこくないだけで、ひとを選ばないわ。けれど、父さんとはいつも成績の順位を争っていたから、たまたまそういう仲から恋に発展したのだけれど。」
やはり、父だけでなく、母さんも結構かしこいらしい。
「じゃあ、父さんと母さんがかしこいのだったら、子どもの僕もかしこい?」
やはり、かしこいと言って貰えることは嬉しい。単純に。
だから、その時もそう求めただけ。
「そう、ね。きっとあなたも、努力すれば……ね。」
しかし、母は悲しそうに、ただそう言うだけだった。















それから月日は流れ、キラは正式に時期国王となる王子の婚約者として、世間に公開され、そして今彼女はザラ邸の別棟で、日々を過ごしている。





「あ、アスランさま!」
その光景を見ていたうちのメイドが、声を上げた。
「そんなことは、わたくし共にお任せくださいませ。キラさまにして頂くなんて……。」
そういって、キラの前に回りこみ、その腕に抱えられているシーツを受け取る。
「キラさまも、わたくし共にお声掛けください。」
「え、いいんです。僕も、アスランの役に立ちたいから。」
「ですけど……。」
言いよどむメイドに、アスランは声を高くして言う。
「キラがそう言うのだから放っておけ。別に俺がやらせている訳ではない。なあ、キラ。」
尊大な態度は、次国王となる王子としては、普段あまり見ないものである。
この家にメイドとして長い時間仕えているけれど、こういう様子を見たのは、この彼の婚約者として、別棟で過ごすようになってからだと、思う。
「ええ、アスランさま。」
そうして答える彼女の態度も、恭しいものである。
世の婚約者同士とは、こういうものなのだろうか。
それとも、政略結婚と囁かれているふたりの中だけもなのなのか。
ほらね、というような目で、こちらを見てくるのが、どうにも納得いかないような気もするが、雇い主の息子であり、時期国を治める人間に反論しようとは思わなかった。
しかも、普段はこんな横暴な振る舞いをなさらない方であるし。
「お言葉過ぎました。失礼します。」
頭を下げると、そのままアスランは行ってしまう。
それから、彼が目の前を通り終わるまで頭を下げていた彼女に、声を掛けた。
「よろしければ、少しお話しませんか?」

庭にある、花が咲き乱れるベンチに二人は腰掛けた。
「私の名前はミリアリアって言うんです、ミリィってみんなには呼ばれてるんだけど、よければそのように呼んで貰えれば嬉しいです。」
「ありがとう、ございます。あの……敬語はいいです。普通に喋ってください。」
そうして、口元が緩み、笑みを浮かべる。
「僕の名前はキラって言います。僕の方こそ、キラって呼んでくださいね。」
見た感じはとても取っ付きにくそうであったけれど、フランクリーなひとなのかもしれない。
「じゃあ、キラって呼ぶわ。これから、よろしくね。」
「こちらこそ、お世話になります。」
丁寧な言葉をキラは崩さない。
箱入り娘として育てられた証拠なのだろうか。
「キラってとても美人でしょう。顔のパーツがあるべきところに揃っているのが凄くよく分かるの。」
それゆえ、仕事仲間である、他のメイドたちは、中々話しかけられないと言っていた。
確かにあまりに美しいから、声を掛けるのも戸惑ってしまうけれど、話すことばはとてもやわらかいものであるし、見た感じよりもずっと、感じのいいものだった。
「そうかな。でも、ありがとう。」
否定もしない、けれど受け取ったことばを、素直に受け取れる。
「何か、特別なことでもしてるの?とても肌が白くて、柔らかそう……。」
触れてもいいかと尋ねてから、キラの頬に触れて、そしてミリィは驚いた。
とても白い、美しいほどに白い肌であるけれど、それはひどく冷たい。
自分の手のひらの熱が奪われていくように。
「寒いの?」
気になって、尋ねたけれど、彼女は首を横に振る。
「いいえ、丁度いいくらいですけれど。……やっぱり、僕の肌って冷たいですよね。」
そう言って、キラの声は少し沈む。
やはり、自分でも気づいているのだろか。
「普通に過ごしているだけなんだけど。」
「何か栄養素が偏っているとか?……けれど、そんな感じではないわね。しかも、私が心配するまえに、コックさんが栄養のあるいいものを作っているわよね……。」
考え込もうとしたが、しかし。
「ごめん、そろそろ仕事に戻らなきゃ。キラもごめんね、引き止めて。」
「いいえ、こちらこそ、お話してくださって、ありがとうございました。また、お話してくださいね。」
それからシーツをありがとうございます、という言葉も忘れなかった。
本当に、育ちのいい、お嬢様なのだなあと、その立ち振る舞いを見て、つくづく感心させられてしまう。
しかし、それが裏目には出ず、彼女を引き立てるいい要素になっているのだから、いいなあとも思うのだ。
「こっちこそ、また声を掛けてね。それじゃあ!」
もっとゆっくり話したかったが、今はそんなことをしていられない。
今度は、アスランさまの話なんかをしたいなあと思いながら、ミリィは仕事へと向かった。















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