*ただただ何ものにも束縛されることの無い世界で* 止まらない涙は雨と一緒に流れてくれればいいのに |
きっと、その時は、きっともう二度とあの彼とは会わないと思っていたけれど。 彼と再び出会ったのは、次の日だった。 その日もいつもと変わらずに、繁華街の裏側をふらふらとしていた。 そうしていると、くたびれたサラリーマンから、誰かもよく分らない人間が自分の周りにやって来る。 お互いに出し合った数字に一致すれば、それから近くにあるホテルに向かう。 することなんて、ただひとつだけ。動物的な行為。 けれど、キラにとって、これをすること以外に、冷えたからだを温める方法を知らなかった。 しかし、これをしたからといって、自分の身体が温かくなるわけでもなく、反対に冷えていくばかりで、少しも暖かくならないことを、僕はすでに知っていたけれど、この、願っても手に入らないひとの腕を手放すことは出来なかった。 駅に近い、石畳の並ぶ腰掛けるにいい位置に座って、誰か声を掛けてくれないかなあと思って、そんな瞳を目の前を通り過ぎる男たちに投げかけると、ひとりの男が反応した。 近寄ってきたひとは、いつもと変わらない、少しくたびれたような表情をしていたけれど、身にまとっているものは、きっと吊るしのスーツではないはずだろう。 出された数字は、いつもより少し多いくらいだと思ったけれど、キラにとってお金などあまり意味を成さないものであったから、それでいいと納得して、立ち上がろうとした。 きっと、今日も近場のラブホになるのかなあと思い、男の歩みの進む方向へと付いていこうとしたが。 「すみませんけれど、この子、俺の連れなんで。」 後ろから突然声を掛けられて、しかしそれは一体誰のことを言っているのかわからなかったけれど、相手の顔を見て、キラは思わず声を出しそうになった。 ―――昨日のひと、だ……。 どうしてここに居るのだろうかとか、どうして自分に声を掛けるのだろうかとか、分らないことは沢山あったけれど。 彼の身体の奥底から出ているのであろうその、耳がびりびりしそうな低い声は、くたびれた顔をした男性には十二分に脅しになったらしい。 確かに、いま成されようとしたことは、法律で禁じられていて、きっとスーツの男に、こんな醜聞が付いて回るのはマイナスになると判断したのだろう。 この子が誘ってきたんだ、とこじつけた理由を、その焦ったような顔で言いながら、彼は足早く人ごみに紛れた。 姿が見えなくなると、後ろに立った男のひとの視線がびりびりと自分を突き刺しているのが分かって、逃げたいなあという気持ちがひしひしと胸の中に出てくる。 あなたには関係ないと、ひとこと言えば済むことだったかもしれないが、それ程無知でもない。 今まさに見られたものは売春という行為で、法で禁止されている。 警察に引き渡されることが嫌だと思うことはこれっぽっちもなかったが、その後の家への連絡は最も嫌なことだったから、大人しく彼の言うことを聞かなくてはならないのだなと、しぶしぶながら彼に従った。 どこに連れて行かれるのだろうかと、思っていたが、思いのほか駅の近くになる川岸に連れて行かれた。 「俺には、きみが自分の身体を売っているように見えたんだけど……。」 唐突に言われて、しかし彼の言い分に間違ったところは何もない。 否定出来るわけでもなく、肯定することも出来ずに僕は黙るしかなかった。 ただ、昨日助けてもらったひとに、こんな場面を見られてしまうということが、ひどく恥ずかしいような、彼に申し訳ないような、そんな気持ちが胸からぼろぼろと現れてくる。 こんな偶然なんて、本当ににくらしい。 「もしも、きみが見知らぬひとだったら、俺も知らないふりを出来たと思うけど、昨日の今日のひとだから、見ていていいものには見えなかったよ。」 ひとつ、嘆息が彼の口から吐かれた。 闇が包む世界は、繁華街ということもあって人通りは十二分に多いけれど、その下に位置する土手には、ぽつぽつとひとがいるくらいだ。 等間隔に照らされた蛍光灯が、白く見える。 「聞きたいことは色々とあるけど、……聞いてもいいかな。」 彼は一体誰なのだろう。 自分の顔をしっかりと捉えて話す人を、キラはこれまでに会った事がなかった。 瞳をぐっと見る人はいたが、それは敵意のような、憎しみのようなマイナスの要素が含まれているものには、キラは見慣れていたが、これほどにも穏やかな雰囲気を、僕は見たことがない。 「家には帰らないの?」 「時々帰る。」 答えると、少しだけ間が空いた後に、彼は静かに尋ねた。 「帰りたくない?」 「家は嫌い。」 「そうか。……じゃあ、いつも何してるの?」 「昼間はたまに学校、夜はいつもこんなの。」 言うと、彼はあからさまに苦い顔をした。 「学校にはちゃんと行ったほうがいい。……高校生だよね?俺は行ったほうがいいと思う。それに、夜はいつも誰かと同衾してたのか?」 苦い顔ではあったけど、そこには憎悪と言うような憎しみは全く見えない。 少し変わったひとだなあと、キラは今更ながらに思った。 玄関先に座り込んだ自分を拾い、そして今度は街中で自分を拾って話しを聞くなんて、変わっていると思う。 「うん。」 「……何か、欲してるから?」 「分んない。でも、何だか自分が暖かくなるから。」 どうしたら、このひとに伝わるだろうと思ったけれど、そんな必要はないのだと、瞬時に思った。 自分と生きる世界が、見るからに違うこのひとに、きっとこんなことを言っても伝わらないだろうと思ったから。 もっと、何か自分の中に燻っているものがあって、しかしそれをキラは言葉にする方法を知らなかったから、いつもからだの中が満たされているときに思う、ひとつの実感を口にした。 きっと、こんな言葉が、他人に伝わるわけないと、僕は思っていたのだけれど。 「胸の中が……からだ中が、穴だらけだろう。」 彼はぽつりと言葉を落とした。 「からだの中が凍えていて、それを暖める方法を知らないから、君は一瞬の抱擁を求めてるんだろう。」 「……どうして、……。」 「まさか、自分が思ったことがあることを、君が思っているとは思わなかった。」 彼の言った言葉は、正に自分の胸の中の様子を的確に言ってのけた。 きっと、誰に言っても分らないであろう、自分の中を巣食う、闇と冷たさ。 得ることの出来ない、手に入れることの出来ないそれを、僕はもっと身体中で欲していて、しかしこれがひとに伝わったことは一度もなかった。 だから、きっと自分にしかないもので、それは世界と自分を孤独にさせるものだと思っていたのに。 「昔の俺が思っていたこと、を言ってみただけなんだけど。」 「……うそ、……。」 彼は、もっとふつうのひとに見えた。 見た感じの印象も、こともなげに言いながらも浮かんでいる微笑と、彼を包む雰囲気はどこかで大切に育てられたようなものがあって、それはひどくキラにとって近づき難いものであったのに。 「俺は、何となく君のことが分ったような気がするよ。君の抱えるその苦しみだけ、だけだけど。」 それから、彼は少し目を眇めた。 理知的な顔を見える彼は、じっと自分の瞳を捉えて離さない。 「けど、きっとその飢えはこんなことでは晴らせないよ、……絶対に。」 それから、彼は少しだけ言葉を探すように口を閉じてから、再びことばを紡ぐ。 「飢餓感を満たすことは出来ないけれど、もっとやさしい触れ方はあるよ。」 「……?」 何を彼が言おうとしているのか、僕には全く検討も付かなければ意味も分らなかった。 「信じること。そして、ひとを愛すること。……これは、とても暖かいよ。」 と彼は、翠の瞳を優しく閉じた。 話していると風が冷たくなってくる。 彼は、自分の家に来ないかというから、僕は誘われるままに彼について行った。 今までに出会ったことのないようなひとに出会って、僕は少し浮かれていたのかもしれない。 しかし、彼は確実に自分と近い感覚を持っているのだと、確信にも似た何かを感じていた。 それが、ひどく嬉しくて、しかし涙など等に枯れ果ててなくなってしまったから、そんなものは出なかったが、それがもしも自分の中にあったら、きっと雨のようにざあざあと流れているだろうかな、と有りもしないことを思いながら、キラは夜の街を、名前も知らないひとと歩いていた。 I borrowed title from "strano". Thank you . |
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